ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.5.10


のちに書かれる『銀河鉄道の夜』で、あの美しい天の川の「すきとほっ」た水のような真空の流れが、

その流れに並んで手を浸した無二の友たちに対して、永劫の別れという深淵を用意していたように:

「『降りやう。』二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫がかった電燈が、一つ点いてゐるばかり、誰も居ませんでした。〔…〕

 さきに降りた人たちは、もうどこへ行ったか一人も見えませんでした。〔…〕そして間もなく、あの汽車から見えたきれいな河原に来ました。
   〔…〕
 ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。」
(北十字とプリオシン海岸)

「マサニエロ」の・眼に焼きつくような蘆の穂のあいだには、濠の底よりも深い地底の奈落が、かいま見えているのです:

27蘆の穂は赤い赤い
28 (ロシヤだよ、チエホフだよ)

いちめん深紅に眼に映ずるヨシの穂は、人間と人間たちの深い真実を照射しています。

31烏がもいちど飛びあがる
32稀硫酸の中の亞鉛屑は烏のむれ
33お城の上のそらはこんどは支那のそら

「稀硫酸の中の亞鉛屑」は、“キップの装置”に入れてある亜鉛粒を思い浮かべているのだと思います:画像ファイル:キップの装置

亜鉛は銀灰色の金属ですから、新品の亜鉛粒は、銀色をしています。しかし、キップの装置に入れて水素発生実験に使っていると、表面が希硫酸に侵されて微細な凹凸ができるので、光沢を失って黒く見えるようになります。

たくさんのカラスが、使い古しの亜鉛粒のように、大空の底に黒く溜まっている──上から希硫酸を注がれたように、ふわふわと踊って飛んでいる──という描写です。

それでは、「支那のそら」とは、どんな空でしょうか?

次に続く2行に関係があるのだと思います:

33お城の上のそらはこんどは支那のそら
34烏三疋杉をすべり
35四疋になつて旋轉する

カラスが3、4羽、本丸跡の上を旋回しているのですが、そこからまず想起されるのは、第1章の「陽ざしとかれくさ」でしょう:

「どこからかチーゼルが刺し
 光パラフヰンの 蒼いもや
 わをかく、わを描く、からす
 烏の軋り……からす器械……」

城址の丘の上を旋回するカラスという・ほとんど同じ場所の同じ情景が、6ヶ月前と今とでは、こんなに趣の違う世界に作者を導いています‥
こんなに違う作者の想念を産み出しているのです‥

しかし、モチーフは共通しています。
これらに共通する‘カラスの旋回飛行’のモチーフは、童話『烏の北斗七星』を想起させないでしょうか?

機械のように旋回し続けるカラスの編隊──そこは、敵の城の上──とすれば、「支那のそら」とは、まさに中国上空ではないでしょうか?
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