ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.4.3


さて、以上によって、おおすじをつかんだところで、最初からもう一度見ていきたいと思います:

. 春と修羅・初版本

01なぜ吠えるのだ、二疋とも
02吠えてこつちへかけてくる
03(夜明けのひのきは心象のそら)
04頭を下げることは犬の常套だ
05尾をふることはこわくない
06それだのに
07なぜさう本氣に吠えるのだ
08一ぴきは灰色錫
09一ぴきの尾は茶の草穂
10うしろへまはつてうなつてゐる

作者は、「東岩手火山」での決意を実行しています。
3行目は、《見者の眼》に映った光景で、作者は、通行人の現実意識で、走って来る犬たちを見ているのと同時に、《異世界》を見る眼で、遠景のヒノキとその背景の空を見ています。

この 3行目の短い表現を理解するためには、ヒノキを詠った学生時代の短歌を参照するのがよいと思います:


 

「アルゴンの、かゞやくそらに 悪ひ[のき]
 み[だ]れみだれていとゞ恐ろし」

「なにげなく、風にたわめる 黒ひのき
 まことはまひるの 波旬のいかり」
(『アザリア』第1号;1917.2.制作)

これは、『アザリア』創刊号に掲載した「みふゆのひのき」と題した連作の冒頭ですが、冬の寄宿舎の窓から見える一本のヒノキを、「悪[わる]ひのき」「黒ひのき」と呼び、嵐を受けて枝葉をゆさぶる恐ろしい姿を描きます。

「アルゴン」は、空気中に微量(約1%)含まれる稀ガス元素で、電球、蛍光灯、真空管の封入ガスとして使われます。空気中のアルゴンが輝く空──酸素や窒素ではなく、なじみのない不思議なガスが、アルゴン放電管のような微妙な光を発しているのです:画像ファイル・アルゴン

「波旬」は、仏教で、欲界にある6つの天のうち、最高位の天(第六天)を支配する魔王。
「日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。」(Wiki):画像ファイル・波旬

上の2首目は、
ヒノキは、何気なく、風でたわんでいるように見えるが、じつは、魔王(悪魔)の怒りを受けて身を縮めているのだ──ということで、
悪の支配する世界で、ヒノキは悪魔にひれ伏して、自ら悪の手先となり、恐ろしい姿を見せています。

「賢治は以後も
〔『アザリア』以後も──ギトン注〕ひのきをなんども登場させるが、黒くそそりたつすがたを不吉なもの、悪霊をひめたもののイメージで使う。」

☆(注) 佐藤通雅『賢治短歌へ』,2007,洋々社,p.219.
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