ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.29


. 春と修羅・初版本

189かすかに光る火山塊の一つの面
190オリオンは幻怪
191月のまはりは熟した瑪璃と葡萄
192あくびと月光の動轉

オリオン座は、いま《異世界》のすがたを見せていますが、作者は、それを「そのとほり」にスケッチしません。それを「幻怪」とみなす現実意識がオーバラップして‘幻視’を蔽います。

「瑪瑙[めのう]」は、岩石の空洞に、オパール、石英、玉髄(石英の微結晶の集積)が沈澱してできた縞状の鉱物で、白、ピンク、赤、黒などの色の縞(層)を持っています。とくに宝石として珍重されるのは、ピンク〜赤系統の縞が断面に浮き出るものです:画像ファイル:瑪瑙 画像ファイル:瑪瑙

月のまわりに、赤、紫などの縞もようが現れて、熟した芳醇な果実のように拡がっていきます。
これは、夜明けが近くなって、東の空に朝焼けの前兆のすみれ色が現れたのです。また、月のまわりには、月の光で弱く暈(かさ)がかかっているかもしれません。

それにしても、賢治の眼に映る光景は、ほとんど‘幻視’です──これは、比喩や文学的美辞ではなく、作者の眼に映った実景と見るべきです。

そして、月光が、ぐしゃっと動転しますが、それは直ちに、あくびのせいで視界が揺れたため‥‥と説明されて、現実意識が収束します。

このように、現実意識が盛り返してきたのは、作者の中で、この山行にあたって両親から言われた戒めの言葉がよみがえったからです:

193 (あんまりはねあるぐなぢやい
194  汝(うな)ひとりだらいがべあ
195  子供等(わらしやども)連れでて目にあへば
196  汝(うな)ひとりであすまないんだぢやい)

“あんまり跳ね歩くんじゃない。お前ひとりならいいだろうが、子供ら(わらしゃども)を連れていて事故に遭えば、お前ひとりでは済まないんだぞ。”──作者は、あらためて引率教師の責任を自覚するのです。

両親の戒めは、単なる親子関係の訓話ではありません。その言葉の背後には、作者が身を置く現実の町と勤務先の社会関係があります。
それは、《異世界》から現実へ、作者を呼び戻す声です。

197火口丘の上には天の川の小さな爆發
198みんなのデカンシヨの聲も聞える

《妙高岳》の向う側に天の川がかかっています。
「天の川の‥爆發」は、星がよく見える場所では、じっさいに爆発のように見えると思います。これは、天の川の‘けぶり’と暗黒星雲がまだらになって、こう見えるのです:画像ファイル:天の川

「デカンシヨ」は、デカンショ節。
“デカンショ節”は、もともと兵庫県篠山市の盆踊り唄だったのが、明治・大正時代に、いろいろな替え歌ができて、全国に広まり、主に学生に歌われました。
デカルト、カント、ショーペンハウエルの略だという説がありますが、「デカンショ」という掛け声は盆踊りのときからあったそうですから、この説は怪しいですw

「デカンショデカンショで半年暮らす アヨイヨイ 
 あとの半年ねて暮らす ヨーオイ ヨーオイ デッカンショ」

↓こちらは、旧制高校で唄った替え歌(掛け声は省略)

「一部頭を叩いてみれば 権利権利の音がする」

「二部の頭を叩いてみれば サインコサインの音がする」

「勉強するやつ頭が悪い 勉強せぬやつなお悪い」

「教授教授と威張るな教授 教授学生のなれの果て」

「教師教師と威張るな教師 教師生徒のなれの果て」

デカンショを、農学校の生徒たちに流行らせたのは、宮澤、堀籠両教諭だそうですw
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