ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.27


. 春と修羅・初版本

169また月光と火山塊のかげ
170向ふの黒い巨きな壁は
171熔岩か集塊岩、力強い肩だ
172とにかく夜があけてお鉢廻りのときは
173あすこからこつちへ出て來るのだ
174なまぬるい風だ
175これが氣温の逆轉だ
176 (つか[れ]てゐるな、
177  わたしはやつぱり睡いのだ)

「火山塊」は、“火山岩塊”のこと。火砕噴出物のうち、直径60mm以上のもの。“火山弾”とほぼイコール。
ここでは、大きい岩です。

「向ふの黒い巨きな壁」は、《御鉢》の内側の火口壁。《薬師岳》(《御鉢》の最高点、頂上)の内側は、切り立った崖になっています:画像ファイル:岩手山

「熔岩」は、溶けた状態で噴火口から流出したマグマが地上で冷えて固まったもの。

「集塊岩」は、火口から噴出した高温の火山弾、火山礫などの火砕物が、相当の時間をかけて堆積・溶結した岩石:画像ファイル:集塊岩 画像ファイル:集塊岩

つまり、用語の区分けは、↓こういうふうになっています。

マグマ⇒‥‥┬‥‥冷却‥‥⇒溶岩
      │
    火 ├火山岩塊┐
      │(火山弾)│
    砕 ├火山礫 ┼‥‥溶結‥‥⇒集塊岩
      ├火山砂 ┤
    物 └火山灰 ┘

「夜があけてお鉢廻りのときは
 あすこからこつちへ出て來る」

「あすこ」は、「向ふの黒い巨きな壁」を指しています。《御鉢めぐり》は、通常は左回りに行きます(画像ファイルの矢印とは逆)。したがって、《下向の道》石標(∩)から見ると、ちょうど頂上の右肩あたりから出てくることになります(最下の画像を参照):画像ファイル:岩手山

169また月光と火山塊のかげ
170向ふの黒い巨きな壁は
171熔岩か集塊岩、力強い肩だ
172とにかく夜があけてお鉢廻りのときは
173あすこからこつちへ出て來るのだ

「火山塊」は、作者の近くの外輪山上にある岩塊でしょう。

月は東の空に出ていますから(1922年9月18日午前4時40分の星空)、北にある頂上付近の火口壁は、くっきりとした陰影を落としていたはずです。
輪郭を浮き出させて彫像のように屹立した「力強い肩」は、「小岩井農場」【下書稿】「第五綴」のパッセージを想起させます↓

「こんな野原の陰惨な霧の中を
 ガッシリした黒い肩をしたベートーフェンが
 深く深くうなだれ又ときどきひとり咆えながらどこまでもいつまでも歩いてゐる。その弟子たちがついて行く
 暗い暗い霧の底なのだ。」

がっしりとした火口壁の肩は、現実のけしきであり、作者の現実意識の確かさを保証するようでもありますが‥、またそれは、ともすれば《神秘界》を透視するほうへ作者をいざないます。

いま、その微妙なバランスの上に作者は立っているのです:

174なまぬるい風だ
175これが氣温の逆轉だ
176 (つか[れ]てゐるな、
177  わたしはやつぱり睡いのだ)

「なまぬるい風」は、《異世界》の伏線として、やや言い古されたイメージです(怪談など)。だから、作者の現実意識は自嘲して、“眠いから、こんな見え方をするのだ”と反省しているのです。
ここでは、現実意識と非現実意識が、微妙に混在して、せめぎあっています。
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