ゆらぐ蜉蝣文字
□第5章 東岩手火山
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5.1.2
銅と鉄の違いは、銅は電気抵抗が小さいが、鉄は大きいことです。電気抵抗の大きい鉄線に無理に電流を通せば、発熱によって電気が損耗します。
だから、送電線や、家の中の配電線、電灯線はみな銅線です。
しかし、↑これらの照明・動力に使う数十ワット以上の電気とちがって、電信、電話のような信号電流は、ミリアンペア・レベルの弱い電流(100ヴォルトならば1ワット未満)ですから、鉄線で伝えても大きな損耗はないのです☆
☆(注) 導線の発熱量は、抵抗に比例する一方、電流の二乗に比例します(Q=Wt=IVt=I[2]Rt)。したがって、導線が抵抗の大きい鉄でも、弱電流ならば発熱(エネルギーの損耗)は非常に小さいのです。
もっとも、当時鉄道の線路に沿って架設されていたのは、鉄道電信線と、各駅に電灯電力を送る配電線でした。
鉄道電信線のほうは鉄線だったとしても、40ワット以上の電灯をたくさんつけるための配電線(電流は電灯の数だけ倍になります)は、最初から銅線だったはずです。
そういうわけで、賢治が「銅線をつかひ出したな!」と、本気でびっくりするほどのことだったとは思えないのですが、
‥ともかく、
05氣圏日本では
06たうたう電線に銅をつかひ出した
には、そういう当時の背景があります。
. 春と修羅・初版本
01おい、銅線をつかつたな
02とんぼのからだの銅線をつかひ出したな
03 はんのき、はんのき
04 交錯光亂轉
ハンノキは、カバノキ科の落葉樹。湿地や水辺を好みますが、戦前の日本では、水田のアゼに、刈入れした稲を干す“はざ掛け”用として多数植えられていました。
北上平野を鉄道で走れば、一面に広がる水田のあちこちにハンノキが見られたはずです:画像ファイル:ハンノキ
「交錯光乱転(こうさく・こうらんてん)」は、じつはお経の文句ですwインドの大乗仏教僧・世親(ヴァスバンドゥ)が『無量寿経』を解説した『往生論』の一節で:
「宝華千万種
彌覆[みふ]池流泉
微風動華葉[けよう]
交錯光乱転」
これは、世親が、阿弥陀浄土のありさまを想像して描いている中の一部で、
阿弥陀浄土には、美しいハスの花が一千万種あって、
池や川や泉をあまねく覆っている。そよ風が吹いて、水辺のハスの葉を動かすと、光が入り乱れてきらきらと輝く、
──というんですね。
『往生論』は、日本では、浄土宗や浄土真宗で重く用いられている聖典でして、日蓮宗には関係ないのですが‥w
賢治は、世親の著作には関心を持っていたようで、「青森挽歌」で、世親の『倶舎論』に基いて死後の世界を考えたりしています。
ともかく、ここではハンノキの葉が風に吹かれて光るようすを「交錯光乱転」(光が入り乱れて、極楽浄土のように、きらきら輝く)と言っているわけです。
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