ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.13


大気は、地表から上層へ行くにしたがって、気圧が減少するとともに、温度は、100m につき約 0.6℃ 低下します。これがふつうの気温分布ですが、何かの原因でこれが逆転して、高空のほうが低空よりも気温が高くなると、この状態は空気の対流を妨げるので、逆転状態が層になって固定します。これが“逆転層”です。

ウィキの説明を見ますと:

「逆転層は、特に秋・冬の夜間に風が弱いとき、放射冷却で地表面温度が低下することによって形成されやすい(接地逆転層)」

とあって、まさに宮澤賢治の説明は正確なことが分かります☆

☆(注) 盛岡高等農林で気象学を受け持ったのは、農学第2部長の関豊太郎教授であり、その冷害予知に関する研究は有名です。関教授の薫陶を受けた宮澤賢治は、気象学に関しては相当の理解を持っていたと思われます。

@秋・冬の夜間、A風が弱いこと、の2つが“逆転層”の発生する条件であり、そのメカニズム(原因)は、地表面の比熱が大気より小さいために、夜間の放射冷却によって冷え、低空の気温を下げるためです。

したがって、内陸部にある岩手山付近では、とくにこの成因での“逆転層”は、起きやすいことになります★

★(注) これに対して、水は比熱が大きいので、海上では接地逆転層は発生しません。また、地表面が陸水で覆われていても同様です。田んぼに水がなく、積雪もない秋季に、逆転層はもっとも発生しやすいと思われます。

ウィキによると、“逆転層”の効果として:

「逆転層によって地表近くの大気がトラップされ、濃霧になったり、また激しいスモッグにより健康被害が起こることもある。逆転層により、遠くの音が大きく聞こえることが多く、また電波伝播に異常が見られることもある。なお逆転層では蜃気楼が起こりやすくなる。」

とあります。
冬の都会で、ビルの屋上や橋の上などから眺めると、スモッグで黒く染まった低空の“逆転層”がよく見えます。

また、秋には、「遠くの音が大きく聞こえる」ということも、昔からよく言われます:

「木の葉落ちつくせば、数十里の方域にわたる林が一時に裸体(はだか)になつて、蒼ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気がいちだん澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞こえる。自分は十月二十六日の記に、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想すと書いた。「あひびき」
〔ツルゲーネフの小説──ギトン〕にも、自分は座して、四顧して、そして耳を傾けたとある。この耳を傾けて聞くといふことがどんなに秋の末から冬へかけての、今の武蔵野の心に適つてゐるだらう。秋ならば林のうちより起こる音、冬ならば林のかなた遠く響く音。

 鳥の羽音、囀ずる声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢(くさむら)の蔭、林の奥にすだく虫の音。空車(からぐるま)荷車の林を廻り、坂を下り、野路を横ぎる響。蹄(ひづめ)で落葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる銃音(つつおと)。自分が一度犬をつれ、近処の林を訪(おとな)ひ、切株に腰をかけて書(ほん)を読んでゐると、突然林の奥で物の落ちたやうな音がした。足もとに臥(ね)てゐた犬が耳を立ててきつとそのはうを見つめた。それぎりであつた。たぶん栗が落ちたのであらう、武蔵野には栗樹(くりのき)もずゐぶん多いから。」
(国木田独歩『武蔵野』)

昔の静かな武蔵野の林の中にいると響いてくるさまざまな音が描写されていますが、それが秋の風物と感じられるのは、秋は“逆転層”によって、遠くの物音が近くに聞こえるからです。

なお、独歩が「武蔵野」と呼んでいるのは、渋谷周辺のことです(!!!!)ww オィ)

「秋深し となりは何を する人ぞ」

この川柳も、隣の広いお屋敷の中の物音が、こちらまで聞こえてしまう秋──という季節感だと思います。



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