ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.11


人々が科学的に認識する・この狭い現実界の外側には、果てしなく、かつ永劫の《異世界》が広がっています。《異世界》は、この世界以上に確乎とした実在なのであり、《異世界》が見えることは、けっして異常なことでも恐ろしいことでもなく、
むしろ、《見者》は《異世界》をも見透しながら、自分が脚を置くこの現実界をしっかりと踏みしめることができる‥‥そこには、いささかの動揺も無いはずです。。。

‘巨大なうねり’をもつ雲海の“暗さ”は、単なる陰気さではなく、むしろ作者の《心象》の──すなわち、この‘世界’の奥深く根をおろした根源的な力を暗示しているのです。
それは、深く根源的であるがゆえに、天使の羽のように柔かく、内にオパール(蛋白石)の虹色の光を湛えているのです。

. 春と修羅・初版本

048(柔かな雲の波だ
   〔…〕
052 その質は
053 蛋白石、glass-wool
054 あるひは水酸化礬土の沈澱

「蛋白石(オパール)」は、非晶質(ガラス質)の含水ケイ酸鉱物〔SiO2・nH2O〕で、岩石の隙間にケイ酸分を含んだ熱水が溜まって固化したものです。
ガラス質のシリカゲルの中に、無数の微小な二酸化ケイ素の球状粒子が接合した珍しい構造をしているので、光を受けると、虹のようにさまざまな色を出します(硅酸の球状粒子が、虹の空気中の水滴のように、プリズムの働きをするのでしょうか?)

そのため、宝石に磨くと“遊色”効果を見せる場合があります。鉱石自体の地色も無色透明、乳白色、褐色、黄色、緑色、青色など、さまざまです:画像ファイル:蛋白石

とくに、“ブラックオパール”という地色が黒のオパールは、遊色が目立つので、綺麗な宝石になるそうです。
オパールには、紫外線を照射すると蛍光を発するものもあります。

オパールが登場する賢治作品といえば、童話『楢ノ木大学士の野宿』☆がありますが、
「ごく上等の蛋白石」の探索を依頼されて採鉱に行った大学士が、失敗して帰って来るという内容ですから、蛋白石そのものは登場しません。

☆(注) 先駆形『青木大学士の野宿』の最初の草稿が成立したのは 1918-1921年 の間と思われます。内容が、1918年3-4月の葛丸川流域土性調査の経験に基いていること、現存草稿の最古層は《10-20イーグル印》で、『小岩井農場』【下書稿】や『冬のスケッチ』より古いことからの推定です。ちなみに、最古層の草稿ですでに、依頼者は「貝の火兄弟商会」という設定になっているので、初期童話『貝の火』より後に書かれたことが分かります。

しかし、より重要なのは、童話『貝の火』★です。

★(注) 『貝の火』は、1921年夏以前の成立です。1921年夏(東京に滞在中)と推定される《10/20(イ)イーグル印》清書稿が存在し、1922年には、農学校の教室で生徒に読み聞かせたという証言があります。

この童話の中で、仔兎のホモイが鳥の王から贈られた宝石の玉“貝の火”は、オパールだ、とは書いてありませんが、その描写から、オパールをモデルにしているのが分かります:

「ホモイは玉を取りあげて見ました。玉は赤や黄の焔をあげてせわしくせわしく燃えてゐるやうに見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでゐるのです。目にあてゝ空にすかして見ると、もう焔は無く、天の川が奇麗にすきとほってゐます。目からはなすと又ちらりちらり美しい火が燃え出します。」

「貝の火が今日位(ぐらゐ)美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、又いなづまが閃(ひらめ)いたり、光の血が流れたり、さうかと思ふと水色の焔が玉の全体をパッと占領して、今度はひなげしの花や、黄色のチュウリップ、薔薇やほたるかづらなどが、一面風にゆらいだりしてゐるやうに見えるのです。」

↑上の2番目の引用は、ホモイが狐に教唆されてモグラを虐めるという悪事に走った後でも、“貝の火”は、予想を裏切って、それまでよりも一層美しく燃えていたという場面です。

この場面は、童話『貝の火』を道徳寓話(“貝の火”は、持ち主の正しさを反映して輝き、不正を反映して曇る)として読んでいると、どうしても理解できない謎の部分でして、これについては、さまざまな論考が書かれています。

しかし、いま読むと、むしろ“貝の火”は、悪事に手を染めた(しかも、そのことを自覚した)持ち主ホモイの・暗い心象を、忠実に反映しているようにも思われます。

やはり、宮沢賢治作品に現れる“暗さ”は、非常に奥の深いものだと思うのです。
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