ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.7


. 春と修羅・初版本

06 いま漂着する薬師外輪山
07 頂上の石標もある
08   (月光は水銀、月光は水銀)

「漂着する」は、@作者が(あるいは作者と生徒たちが)火口縁(《御鉢》の上)に「漂着する」のでしょうか?
それとも、A作者らの目の前で、「薬師外輪山」の山体が、巨大な船のように「漂着」してきたのでしょうか?

「頂上の石標もある」──つまり、火口縁の上に上がったとありますから、@が妥当な読みなのかもしれません。

しかし、ギトンはAの印象が強いのです。

《御鉢》のへりに登りつめて、薬師火口の馬蹄形の‘外輪山’を見渡した光景が、「いま漂着する薬師外輪山」──暗い夜の視界に、巨大な幽霊船が漂着するかのように、薬師火口の全貌がおもむろに現れてきたのです‥‥

あとのほう(50行目)で、「月光會社の五千噸(トン)の汽船」も出てきますし、
頂上の平らな山を、死後界との間を往き来する舟とみなす古い信仰☆も思い起こされます。

☆(注) 東北地方に多く残っているようです。「船形山」という地名が各地にあります。

ともかくここは、むりに結論を出さないでおきましょうw‥

ところで、7行目は、《印刷用原稿》では:

「一升の石標もある」

でした。
日本の多くの山で、「一合目」から「九合目」までの登山道の区切りが付けられています。富士山では、「一合五勺」などという中間単位の地名までありますw

これは、「その昔富士山を登る際足元を照らした提灯に必要な油が1合燃え尽きる毎に道程を区切ったのが起源だ」とか、「登っているとのどが乾くので、背負っている飲料水が減ってゆく量を、登山の疲労度の目安として表した」などと説明されていますが、どれも後からのこじつけとしか思えませんw

ともかく、こういう呼び方をする習慣なのです。「合目」の間の距離や標高差も一定していません。あくまで便宜的な習慣です。

岩手山では、「9合目」の先に、「1升目」があります。「1升」は、昔の容積の単位で、「10合」とイコールです。
「一升目」の石標があるのは、《御鉢》のへりに登りつめた場所で、
ここから頂上へは、まだ《御鉢》の円いへりに沿って、標高差で140メートルほど登らなければならないのですが、ともかく‘急登はここまで’ということなのでしょう:画像ファイル・岩手山(御鉢めぐり)

↑ファイルの最後の写真は、「一升目」付近から、薬師火口の中を覗いたところです。《御鉢》のへりは、北西が高く、南東が低くなっていますから、「一升目」付近がほぼ最低点で、最高点の薬師岳頂上は、ここからトイメンにあたります。

《御鉢》の上には、66体の石仏観音像が並んでいて、これを順に巡って行くのが“御鉢めぐり”です。
“御鉢めぐり”と石仏観音像については、こちらのブログがたいへん詳しいです:⇒三十三観音めぐり
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