ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.6


「後夜」は、昔の時刻の言い方で、
古語辞典を引くと、↓次のように書いてあります:

「【六時】 一昼夜を六分した六つの時刻。晨朝(じんじよう)・日中・日没(にちもつ)・初夜・中夜・後夜(ごや)。それぞれの時刻に勤行(ごんぎよう)を行い、これを『六時の勤め』という。」

つまり仏教用語なんですね。じっさいに何時ころかというと、辞書によって午前2時〜6時とか、3時〜5時とかいろいろです(笑)。
ともかく、「晨朝」つまり早朝の、4時間前の時刻です。

この詩では、
28《いまなん時です
29三時四十分?

と、時間を生徒に尋ねているので正確な時刻が分かります。午前3時40分です。

この・‘仏教時刻’と科学的な時刻との対比も、作者が意図して両方書いているのだと思われます。

「喪主」は、辞書には‘葬儀の主宰者’の意味しかありません。つまり、単なる勤行ではなく葬儀だということになります。

これを、辞書の意味で解すると、もうじき夜明けになって満天の星が消えてしまうことを惜しんでいるのか、喪服をまとったような雲が月にかかっているのか…、よく分かりません。

しかし、ここでも“栗谷川流”を押し通しますと(笑)‥:

「喪主」は、読みは「もしゅ」のままですが、‥作品「春と修羅」の「喪神」に関わる“賢治語”として理解できないでしょうか?

つまり、《異世界》の主(ぬし)、あるいは、今夜ここでの《心象》世界の主。。

「後夜の喪主」とありますから、《異世界》全体を統べる存在ではなくて、あくまでも、この時刻のヌシ──それが、「二十五日の月」なのです。

ギトンには、このほうが、ムリに葬式どうのと理屈を付けるよりも、作者の意図にかなっているような気がします。

. 春と修羅・初版本

002火山礫は夜の沈澱
003火口の巨きなえぐりを見ては
004たれもみんな愕くはづだ
005 (風としづけさ)

「火山礫[れき]」:
マグマが固化した火山噴出物は、大きいものから順に、溶岩、火山岩塊(火山弾)、火山礫、火山砂、火山灰と称しています。「火山礫」は、直径 2mm 〜 64mm :砂利〜小石くらいの大きさのものです。

この大きさですから、遠くから見ると、砂のように見えます。
ふつう、火口の表面には、火山礫が積もっています。《御鉢》もおそらくそうでしょう:画像ファイル:火山礫

002火山礫は夜の沈澱

↑現実的・科学的な眼で見れば堆積した「火山礫」ですが、非現実的な眼で“ありのままに”見れば「夜の沈澱」なのです。

003火口の巨きなえぐりを見ては
004たれもみんな愕[おどろ]くはづだ

「はづだ」は未来形だとすれば、作者と生徒たちは、いま、《御鉢》火口の外側を登っています。‘おわん’のフチに上がれば、火口の中が見えるはずです。
夜空よりも暗い闇黒の深淵を、いきなり足もとに見出して、はじめて岩手山に登った生徒たちは、ぎょっとするにちがいありません‥

ここには、《異世界》をかいま見せられて、生徒たちが自分を警戒しないだろうかという危惧とともに、《異世界》──《心象》世界が実在するという真実を、生徒たちにも伝えたいという・作者のひそやかな願いが見えているように思います。
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