ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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5.3.5


そこで、栗谷川氏によれば、この分裂した意識の相克は、第4章《グランド電柱》の中で極点に達します:

「『春と修羅』の孤独な彷徨が、『印象』において一つの極点に達し
、これ以上はもう進めないと感じた時、賢治はこの二重生活に終止符を打とうとした。はばけてばかりいる現実の生活の中へ降り立とうとしたのである。」(op.cit.,p.195)

「『春と修羅』では、これまでそのスケッチの対象となったのは、あくまで『心象宙宇』だけであって、教師となって約十ヵ月、『東岩手火山』でようやく社会生活そのものが、スケッチの対象とされたのである。これはまさしく、現実から新しくまっすぐに起とうという決意
の実践であった。」(op.cit.,p.196)

☆(注) 栗谷川氏は、第4章の作品「印象」を“極点”、いわば転回点と考えておられるのですが、ギトンは、この転回は、いくつかのきっかけを経て、徐々になされたと思います。それが作品に現れているのは、(すでに第1章の)「陽ざしとかれくさ」(1924.3.9.雑誌発表)、散文『イギリス海岸』(1923.8.9.定稿)、そして、本作品のひとつ前の「滝澤野」です。これらの作品に共通して述べられている“ちくちくする痛み”は、精神的な痛みで、作者を現実に向け、社会人(教師)としての自覚を強烈に促すものです。「滝澤野」の“グリーン・ドワーフ”は、‘異界を見る心’を保ちながら現実界にしっかりと立とうとする作者の、まだ弱々しくとも真摯な決意を反映しています。

★(注) 「さあはつきり眼をあいてたれにも見え/明確に物理學の法則にしたがふ/これら實在の現象のなかから/あたらしくまつすぐに起て」(パート9,79-82行)この部分は【下書稿】にはありません。おそらく、「東岩手火山(心象スケッチ外輪山)」の新聞発表(1923.4.8.)よりも後で、『春と修羅』【初版本】の《印刷用原稿》作成のさいに書き加えられたと思われます。

眼では《異世界》を見透しつつ、現実世界にもしっかりと足を降ろし、常識をわきまえた社会人として、責任をもって生徒たちを指導し、同僚との意思疎通にも支障をきたさない──そのような生活を営んでゆく決意のもとに、「東岩手火山」は書かれたのだと思います。

この詩の前半で、生徒たちに対する現実的・科学的な説明の会話が大部分(詩全体の約40%)を占めているのも、
そうした決意の表れであり、作者は、決意の実践を、自己記録しようとしているのです。

「自分の『心象』を、その中の一点景としての自己が見るのではなく、理性的な眼によって、即ち『みんな』の眼と同じ眼によって見ることが出来るようになったという自信から、決意は生まれた。この意識の延長上に、新たに、『神秘』
〔=異世界──ギトン〕を捉え直すこと、これもまた、大きな『屈折』だった〔すなわち、「東岩手火山」以後の課題となる──ギトン〕のである。」(a.a.O.)






以上、前注が長くなってしまいましたが、ここから「東岩手火山」の本文に入りたいと思います。

. 春と修羅・初版本

001月は水銀、後夜(ごや)の喪主(もしゅ)
002火山礫は夜の沈澱
003火口の巨きなえぐりを見ては
004たれもみんな愕くはづだ
005 (風としづけさ)

あとのほうの115行目を見ると、「二十五日の月のあかりに照らされて」とありますから、月齢25日──ということは、ミカヅキに近いくらい細く欠けた月が出ているわけです。

細い月は白く輝いて見えますから、「月は水銀」と言っています。

もっとも、あとのほうで

008 (月光は水銀、月光は水銀)

とも言っていますから、月から流れてくる光も「水銀」です。
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