ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
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【54】 東岩手火山





5.3.1


「銅線」「滝澤野」「東岩手火山」の3作は、1922年9月17日(日)〜18日(月)、稗貫農学校の教師をしていた宮澤賢治が、生徒たち数人を引率して、岩手山へ登山した際のスケッチ。

「銅線」「滝澤野」は、この順序で、17日午後〜夕方に岩手山へ向かう途上でのスケッチ。
「東岩手火山」は、18日未明の山頂(カルデラ火口縁)です。

“東岩手火山”とは、かんたんに言うと、岩手山の頂上にあるカルデラ火口のことです。

(1) “岩手山”と呼ばれている火山群は、3期にわたって活動した火山群が複合して形成されました。
最古期(第1期)の火山群は、西方の三ツ石山、大松倉山などで、80-30万年前に形成されています。

現在は“東岩手火山”の山腹に出っ張りのようになって残っている《鞍掛山》も、この第1期の最も早い時期にあった火山の残骸です:地図:岩手山・鞍掛山 画像ファイル:鞍掛山

(2) 約30万年前〜5万年前に、第1期の火山群の中央に、第2期の《西岩手火山》が噴出し、火山体を形成したあと、爆裂によって山頂部を噴き飛ばし、東西に細長いカルデラを造りました。
 これが、《地獄谷》《御釜湖》《御苗代湖》などの火口丘を取り囲んでいる《西岩手火山》カルデラです。

(3) 3.5万年前から、《西岩手火山》カルデラの東半分を埋めるように《東岩手火山》が噴出し、コニーデ形の山体を形成しました。

しかし、《東岩手火山》も三重火山でして、
2回山体崩壊を繰り返してできあがった外輪山カルデラ内に、《薬師岳》火山が成長し、
さらにその《薬師岳》の頂上火口(“御鉢”)の中に、《御室火口》と《妙高岳》が形成されました:⇒岩手山の噴火史

現在の景観で言うと、《東岩手火山》の一番外側の外輪山は、南側の不動平付近(8合目)に残っているだけです。
その内側に噴出した《薬師岳》の頂上は陥没して、「御鉢(おはち)」(薬師火口)という‘おわん’のような大きな火口を造っています。
お鉢のへりは、北西に最高点(2038m)があって、ここが《薬師岳》の(したがって岩手山の)頂上です。

《薬師岳》と言うと、この頂上(御鉢火口の最高点)だけを指す場合と、
“御鉢”を上部に戴く火山体(内輪山☆)全体を指す場合があります。

☆(注) ここで、「外輪山」という用語の正確な意味を調べておきますと:「外輪山 二重式以上の複式火山において中央丘をかこむ古い火口またはカルデラの周縁の環状山稜をいい,火口縁またはカルデラ縁とも呼ぶ。〔…〕外輪山の内側は火口壁またはカルデラ壁と呼ばれる急崖で,外側は緩斜面であることが多い【鈴木隆介】」(世界大百科事典)。つまり、外側の‘おわん’も内側の‘おわん’も、みな「外輪山」と呼ぶのが正確なわけです。‥そこで、宮澤賢治の題名「外輪山」は、内側の外輪山(=御鉢)を指しています。

“御鉢”の中には、《妙高岳》という火口丘があり、《妙高岳》の西脇に、「御室(おむろ)」と呼ばれる火口があります。御室火口からは、現在も噴気を吹き上げています★:画像ファイル・岩手山

★(注) 宮澤賢治の時代には、東岩手火山は活動休止期で、噴気は出ていなかったようです

岩手山は、古来から信仰の山でして、山頂の“御鉢”火口の火口縁上には、三十三観音石仏が並んでいます。この石仏を訪ねて“御鉢”をぐるっと一周するのを、“御鉢めぐり”と言います。

また、登山道の途中にある柳沢と、盛岡市には、岩手山神社が祭られています。
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