ゆらぐ蜉蝣文字


第5章 東岩手火山
10ページ/73ページ


5.2.6


滝沢付近からは、《焼け走り溶岩流》が見えるのでしょうか‥。
「そらの魚の涎(よだれ)はふりかかり」は、東岩手山の山裾に広がる《焼け走り》の黒い溶岩流の堆積を指していると思います。

それは、空にいる巨大な魚が落としたヨダレだというのです。

なにか非常に不潔で不浄な‥生理的な感覚を誘います。

しかし、それにしても、魚の身体全体の大きさは、はかりしれません。
生理的感覚とすれば、これは地球そのものの生理、──気圏もふくんだこの世界全体がひとつの生き物だとすれば、その“世界生物”の生理です。。。

この魚は、荘子の「鵬」よりも巨大です‥☆

☆(注) そういえば、荘子の「鵬」は、北の海にいる巨大な魚が変身した鳥なのでした:「北冥に魚あり、その名を鯤となす、鯤の大いさ、その幾千里なるを知らざるなり。化して鳥となる、その名を鵬となす、鵬の背、其の幾千里なるを知らざるなり」(『荘子』「内篇」)

16天未線(スカイライン)の恐ろしさ

西に沈む日は、ちょうど秋田駒ケ岳方面の奥羽山脈の山並みを、シルエットにして浮き上がらせています。

峨峨たる山々の凹凸は、地底に落ちる夕陽の光芒を背景にして、異世界そのもののように恐ろしく感じられたことでしょう。

山を目指して歩く作者らを、内部からちくちくとさすカラマツの「しん」、アザミの「青い棘」‥、森の木々を焼き尽くそうとする太陽の発射音‥、熔岩のよだれを落とす巨大な空の魚‥、地底からの光芒の中に沈み込もうとする恐ろしい峰々のシルエット‥

賢治の見ていた《心象》は、なんと凄絶な世界だったのでしょうか。。。

その世界に対抗するかのように、森の入口に、すくっと立ち上がった“緑のこびと”は、この巨大な《心象》世界を本来は統握すべきはずの作者の自我を象徴しています。
それはなんと頼りない存在なのでしょうか。。。

しかし、“こびと”の背後には、彼が守るべき森の内部が、心奥の無意識領域を示すかのように静寂の闇を秘め、
その奥で、小さなカラスウリの明かりが、ポッとともっているのです。



【54】へ
第5章の目次へ戻る




.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ