ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
87ページ/88ページ



【51】 竹と楢




4.19.1


「竹と楢」も、雨天の9月7日付、花巻近郊でのスケッチです:

. 春と修羅・初版本

01煩悶ですか
02煩悶ならば
03雨の降るとき
04竹と楢(なら)との林の中がいいのです
05(おまへこそ髪を刈れ)
06竹と楢との青い林の中がいいのです
07(おまへこそ髪を刈れ
08 そんな髪をしてゐるから
09 そんなことも考へるのだ)

この作品も、2人の人物の対話として読んでみたら面白いかもしれません:

A「煩悶ですか?」

B「‥‥‥‥‥」

A「煩悶ならば
  雨の降るとき
  竹と楢との林の中がいいのです」

B「おまへこそ髪を刈れ」

A「竹と楢との青い林の中がいいのです」

B「おまへこそ髪を刈れ
  そんな髪をしてゐるから
  そんなことも考へるのだ」

賢治が弟・清六氏に宛てた手紙の中に、

「苦痛を享楽できる人はほんたうの詩人です」


という言葉があります。

☆(注) 宮澤清六『兄のトランク』,ちくま文庫,p.32.

上のAは、詩人としての賢治そのものの声でしょう。童話『土神と狐』の《狐》と言ってもよいと思います。

しかし、ここでのAの発言は、意地の悪いアイロニーにもとれます。

楢(ミズナラ、コナラ)の雑木林に竹が侵入した場所は、人が踏み込んで行けないようなものすごいヤブになっているからです。
竹は地下茎を延ばして殖えるので、屋敷林などの竹薮を放置しておくと、周囲に拡がって、他の木を枯らしてしまいます。

竹はどこにでも入り込んで行きますし、竹薮は蚊のすみかとなります。伐採しても地下茎が残っていれば、翌年はまたタケノコが生えてきて再生してしまいます:画像ファイル:侵入する竹林

これに対して、作品「山巡査」で描かれたようなミズナラの巨木が茂った自然林には、竹は侵入して行けないと思います。うっそうと葉を茂らせた巨木の影になって、竹のほうが枯れてしまうからです。

ともかく、そういうわけで、
「雨の降るとき‥竹と楢との林の中」へ行って煩悶するとよい…というのは、ほとんど実行不可能なことなのです。。。 とても踏み込めるものではありませんし、むりに踏み込んだら、身体はびしょびしょ‥それどころか、尖った木の枝やイラクサで、服は破け顔や腕は傷だらけになってしまいます。

ですから、Aの発言は、まじめなアドバイスとは思えません。

“こんぐらがったことを考えて悶えたいんなら、竹と楢が絡み合ってるような・むさ苦しい場所へ行ってやれ!”と言っているようなものです。

Aの発言がそういうことならば、これに対するBの反応も、よく解ります:

Bは、皮肉を言われたので、“おまえこそ、むさ苦しいなりをしているじゃないか!”と言い返しているのです:

B「おまへこそ髪を刈れ
  そんな髪をしてゐるから
  そんなことも考へるのだ」

そんなむさ苦しい髪をしているから、むさ苦しい場所を考えつくのだ、というわけですw
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ