ゆらぐ蜉蝣文字
□第4章 グランド電柱
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【50】 たび人
4.18.1
「たび人」も雨天の9月7日付。場所も、やはり花巻近郊です。
. 春と修羅・初版本
01あめの稲田の中を行くもの
02海坊主林(うみぼうず[ば]やし)のはうへ急ぐもの
03雲と山との陰氣のなかへ歩くもの
04もつと合羽をしつかりしめろ
このように、たいへん短い4行の詩です。
「海坊主林(うみぼうずばやし)」は、雨がそぼふるなか、靄の中にぼんやりと海坊主のように浮かぶ林地の姿を指しているのだと思います。
耕地化が進むと、削り残された林地が、こうした孤立林の景観を作ります:画像ファイル:孤立林
近所で見かけた通行人なのか、作者自身なのかは分かりませんが、単に用事があって歩いている人を指して、「たび人」と言っているのは、その姿に何か象徴的なものを感じたからです。
「たび人」という言い方は、その人の生きて行く行路、つまり“来し方・行く末”を暗示する場合が多いと思いますが、ここでもおそらく、そういう含みでしょう。
この詩集の最初に置かれた2つの作品が想起されます。
冒頭の2作では:
. 屈折率
「向ふの縮れた亜鉛の雲へ
〔…〕
急がなければならないのか」(「屈折率」)
. くらかけの雪
「ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
(ひとつの古風な信仰です)」(「くらかけの雪」)
と、情緒的に終っていました。
しかし、ここでは:
04もつと合羽をしつかりしめろ
と叱咤の呼びかけになっていて、明らかに調子の違いがあります。
この詩集冒頭の1月の段階では、作者は、行く手に漠然とした不安と焦燥を感じていました。
しかし、この9月の段階では、
作者の姿勢に、9か月前には見られなかった緊張と決意が見られるのです。
9か月前には、「急がなければならないのか」と自問し、「ほのかなのぞみを送」りつつ歩き続けるという状態だったのです。しかし、今は、雨具の襟元をしっかりと締め直して、積極的に行く手へ向かって行こうとしています。
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