ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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【49】 電線工夫




4.17.1


「電線工夫」も9月7日付──雨の日です。

春と修羅・初版本
01でんしんばしらの氣まぐれ碍子の修繕者
02雲とあめとの下のあなたに忠告いたします
03それではあんまりアラビアンナイト型です
05からだをそんなに黒くかつきり鍵にまげ
06外套の裾もぬれてあやしく垂れ
07ひどく手先を動かすでもないその修繕は
08あんまりアラビアンナイト型です
09あいつは惡魔のためにあの上に
10つけられたのだと云はれたとき
11どうあなたは辯解をするつもりです

雨天にもかかわらず、外套を着て電柱に登り修理をしている工夫のかっこうが、「アラビアンナイト型」だと言うのです。

それは、
「からだを‥黒くかつきり鍵にまげ/外套の裾もぬれてあやしく垂れ」、つまり、雨の中で、黒い外套を着て、電柱の高くで身体を鍵形に曲げている‥

「ひどく手先を動かすでもない」、つまり、じっと動かないように見える‥

そのかっこうが、「惡魔のために」電柱の上に吊るされているみたいだと言うわけです。

しかし、‥‥アラビアンナイトに悪魔が出て来たでしょうか?‥w

誰もが知っているような話の中には、出て来ないように思うのです。
魔法使いに魔法をかけられて、壺の中に閉じ込められるとか‥、脚が石に変えられてしまうとか‥、そんな話ならアラビアンナイトにたくさんありますけどね‥

雨の中で、黒い外套を着て作業しているかっこうが、魔法で電柱のてっぺんに吊るされたようだというのでしょうか。

当時は、電気が供給されるようになってまもないころで、岩手県では、まだ電気の引かれていない村が大部分であったはずです☆

☆(注) 『口語詩稿』収録の〔もう二三べん〕は、花巻のある村に電気を引いた電柱工事の際に着想しています。この作品の草稿は、作者が1928年8月以後起稿の下書きを集めたと思われる『春と修羅W』ファイルに入っていました。

当時はまだ花巻の市街地でも、電柱に登って工事をしている風景は、ものめずらしかったのかもしれません。

「氣まぐれ碍子の修繕者」という言い方は、気まぐれに故障が起きるので、雨天日で電柱に登って修理をしなければならない電気会社の工夫の苦労を慮っている趣きです。

しかし、なにか見当違いの心配をしているような‥、電気供給という新しいしくみに戸惑っている地方住民の感覚を表現しているような‥、ほほえましい感じがしますね‥

それにしても、作者は、工夫の作業がよほど気になるようです。

すこし、深読みになるかもしれませんが、作者は、この「電線工夫」に弟の清六氏を見ているのだと思います。

宮澤清六氏は、この1922年3月に盛岡中学校を卒業したあと、花巻の実家に戻り、父の意向に従って家業の古着商(じつは質屋)を手伝っていました。しかし、清六氏自身は、兄賢治と同様に家業は厭で、電気工学の方面へ進む希望を持っていたようです。
というのは、このあと、11月に姉・トシ子が病死し、その葬儀も終えた12月、清六氏は、単身上京して水道橋の研数学館(⇒画像ファイル:研数学館)★で数学と電気を学んでいるのです。

★(注) 1897年に開講した数学専門の私立学校。のち専門学校に昇格。戦後は予備校として存続し、2000年に閉校しました。卒業資格のない私塾であったわりには、非常に評判の高い学校で、多くの有名人が学んでいます:政治家・外相の椎名悦三郎、時事評論家の小汀利得、作家の椎名誠、詩人の北村太郎、田村隆一、お笑い芸人の小堺一機、高橋健一など。数学者になった人はいないようですが‥。ギトンも、友達がここに通っていて、よく研数の門前で待ち合わせをしました。
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