ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.16.2


しかし、街角の巡査に対しては、よいイメージを抱いていたと思うのです:

「私の父親は当時、警察官で花巻の駅前の駐在所におりまして、家族も皆そこに住んでおりました。で、私の家は日蓮宗を信じてたんです。宮澤さん
〔賢治──ギトン注〕は花巻の農学校の先生をなさっていた頃、十二月になると寒行をなさいましてね。太鼓〔うちわ太鼓──ギトン注〕を叩きながら南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、と唱えて歩くわけです。それで、私の家の前に来ると必ず立ち止まって、南無妙法蓮華経と拝んで行って下さったのです。その度に私の父はありがとうございますと、丁寧にあいさつしていました。私は子どもの頃からそれを見てました。〔…〕あの頃、年に何度か日蓮宗の寄り合いがありましてね。その寄り合いで私の父親と宮澤さんは顔見知りになっていたようです。」
(大八木敦彦『病床の賢治』,2009,舷燈社,p.15)

↑これは、1928.12.-29.2.ころ宮澤家に住み込んで賢治の付き添い看護婦をしたTさんの聞き取り証言ですが、文中でTさんの父が花巻の駐在巡査をしていた時期は、1924年以前から1929年以降までと思われます。
賢治の生前には、花巻には日蓮宗の寺院もありませんでした。しかし、警察官が出向を命じられれば、同宗の信者のいない土地にでも移住しなければならないわけで、Tさん一家はよほど心細い思いをして暮らしていたのではないでしょうか。

賢治の「寒行」については、信仰の発露として取り上げて言われることが多いのですが、
ギトンはむしろ、賢治は、町でひっそりと影をひそめて暮らしているマイノリティー──日蓮宗信者を、勇気づけることに意義を感じていたのではないかと思います。

それはともかく、このエピソードには、巡査に対する賢治の非常に温かいまなざしが感じられるのです。
私たちが一般に警察・警察官に抱きがちな権威のイメージを超えている──権威にとらわれないところに、賢治の賢治らしさがあります。

なお、付き添い看護の住み込み(雇用されていた看護婦は2名)が終った時に、賢治は、Tさんだけを呼んで、御礼に本を贈ったそうです。

. 春と修羅・初版本

05栗の木ばやしの青いくらがりに
06しぶきや雨にびしやびしや洗はれてゐる
07その長いものは一體舟か
08それともそりか
09あんまりロシヤふうだよ

10沼に生えるものはやなぎやサラド
11きれいな蘆(よし)のサラドだ

1行分空けて、5-9行目に描かれている「長いもの」とは、いったい何でしょうか?
6行目の「しぶき」、10行目の「沼」から、「長いもの」が森の中の沼かその岸に横たわっていることは、わかります‥

ギトンは、これは林床に横たわる倒木だと思います:画像ファイル:倒木

じっさいに、雨の半原生林の中を歩いて、倒木に出会う体験をしてもらわないと。。。↑写真ではなかなかこの感じは伝わらないのですが、

森の中に横たわって苔むし、朽ちかけている倒木は、捨てられた大きなボートか舟のように思われます。

この詩は、クリやミズナラを主体とした広葉樹林の中を、土砂降りの雨に降られながら歩いているスケッチです。胡四王山から東和にかけてのあたりでしょうか?‥
10-11行目で、森の中には、神秘的な沼さえ隠れているのです。あるいは、雨の季節にだけできる森の中の水溜りかもしれません:画像ファイル:森の中の沼

10行目の「やなぎ」は、シダレヤナギではなく、ネコヤナギのような灌木でしょう。ヨシと灌木のヤナギが、森の中の沼の水辺を覆っているのです。

「サラド」はサラダ。
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