ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.2.2


. 春と修羅・初版本

01そら、ね、ごらん
02むかふに霧にぬれてゐる
03蕈のかたちのちいちな林があるだらう
04あすこのとこへ
05わたしのかんがへが
06ずゐぶんはやく流れて行つて
07みんな
08溶け込んでゐるのだよ
09  こヽいらはふきの花でいつぱいだ

この作品には、天候や時刻については書いてありませんが、同じ日付の次の作品「霧とマツチ」から推し量れば、
日曜日の早朝、まだ暗いうちで、深く垂れ込めた朝もやの中だと思います。

したがって、「むかふ」の「ちい[さ]な林」自体が、もやの中にぼんやりと霞んでしか見えていない状況だと思います。

日曜ですから、おそらく、誰か友達のところ──堀籠教諭かもしれません──か、学校に宿直で泊った翌朝、同僚か、お気に入りの生徒を連れて、朝の散歩に出ているのではないでしょうか?‥

ただ‥この作者といっしょに、日曜の朝早く、もやの中を歩いているさまを想像しますと‥やはり……もしも、賢治そのひとに、こんなことを言われたら、頑固なギトンでも、ほんとうに信じてしまうような気がします。

そして、連れの「かんがへ」といっしょに、自分の「かんがへ」──“魂”も、
この身体を離れて飛んで行って、いっしょに「溶け込んで」しまいたいと思うでしょう‥

恋人でも親友でもよいのですけれど‥10代の時に、寝床の中でそんな“共同幻想”体験をしたことのある人は‥‥他人の知らない幸せを知っているんだと思いますよ。。。w

それを思うと、「ふきの花でいつぱい」な二人だけの世界は、すてきですね……

04あすこのとこへ
05わたしのかんがへが
06ずゐぶんはやく流れて行つて
07みんな
08溶け込んでゐるのだよ

この幽体剥離⇒風景への融合 のような感興は、
《パースペクチヴ》に限定されない超越的な“透視”を望む気持ちから発しているかもしれません。

もともと仏教の観念的な世界を崇めていた賢治は、“時と場所”に限定された人間の視角、個人の“身体と心”に留まろうとする執着を超えて、仏陀そのもののような超越的な目を持ちたいと願っていたと思います。

宗教的な世界観だけでなく、日常見える周りの風景についても、
見る者の時と場所に限定された偶然の“見え”──《パースペクチヴ》を、宗教は、ただの“仮象”にすぎない、それに囚われてはならない、と教えます。

しかし、そうした宗教観念は、保阪との複雑に縺れたやりとりや、
1921年の出奔上京後の──《国柱会》に弄り倒されるような──体験を通じて、転機を迎えました。

かつての文語短歌や宗教寓話から、半口語的短詩群『冬のスケッチ』を経て、『春と修羅』の口語詩スケッチや散文作品へ──この1921-22年頃に見られる作品ジャンルの移行自体、

偶然の時と場所に限定された《パースペクチヴ》こそが備えている新鮮な価値の発見を、伴なったはずです。

反面、かつて、『法華経』を“唯一の経典”と崇めて帰依していた賢治からすれば、
そうして変化して行く自分は、堕落したように思われたかもしれません。

そこで、なお形を変えて、“この身体と心に局限された主観”からの離脱を希む気持ちが、
このような「かんがへが‥流れて行つて」風景に「溶け込んで」ゆく想念を産み出しているのだと思います。

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