ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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《Na》 おそるべき息子たち




【47】 グランド電柱





 

4.15.1


「グランド電柱」は、1922年9月7日(木曜日)付です。東北地方の短い夏は終り、秋霖の季節に入っています:

. 春と修羅・初版本

01あめと雲とが地面に垂れ
02すすきの赤い穗も洗はれ
03野原はすがすがしくなつたので
04花巻グランド電柱の
05百の碍子にあつまる雀

06掠奪のために田にはいり
07うるうるうるうると飛び
08雲と雨とのひかりのなかを
09すばやく花巻大三又路(だいさんさろ)の
10百の碍子にもどる雀

5-6行目の間に空行があり、前後2連に分かれています。

これも、スケッチというよりは、秋霖の風物を織り込んだ歌謡の感じです。1連と2連の間に対句のような対応関係が見られます。

雨雲が低く垂れ込め、にわか雨が降ったり上がったりしている状況だと思います。

その雨の晴れ間を縫って、おびただしい数のスズメが、穂を孕んだ稲田に、実をついばみに舞い降りて来ます。

もっとも、スズメは、ふつう雨がすっかり上がって電線や碍子が乾くまで、出てこないと思いますが‥、そのへんは、多少フィクションがあるかもしれません。

01あめと雲とが地面に垂れ
02すすきの赤い穗も洗はれ

雨が上がった状況ですが、縮こまった雨雲が、まだ上空に垂れこめています。

ススキの赤い穂は花です。実をつけると種子の綿毛で白っぽくなります:画像ファイル:ススキ

03野原はすがすがしくなつたので
04花巻グランド電柱の
05百の碍子にあつまる雀

涼しい雨上がりの空気の中で、スズメが送電線に集まって来ていますが‥

まるで、スズメが人間のように、“蒸し暑くてかなわんから家にいよう”とか“すがすがしくなったので散歩して来よう”などと、考えているみたいな言い方で、みょうですがw‥

擬人化なのでしょうか?

擬人化というよりは、そういう賢治の自然観なのだと思います。
人間にとってすがすがしいのだから、雀にも同じだと、ごく当たり前に思っているのです。

極端な例で言うと、たとえば、高農時代の短歌に:

590 この度は
  薄明穹につらなりて
  高倉山の黒きたかぶり。
  (歌稿B)

というのがありました(《いんとろ》0.2.2 参照)。描写の対象は、夜明けの空に高倉山の峰々がつらなって聳えている風景にすぎないのですが、「この度は」という言い方が、最初から特異な見方に読者を誘い込んでいます。まるで高倉山が殊勲を授与されて、元老の列につらなっているかのようです。
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