ゆらぐ蜉蝣文字
□第4章 グランド電柱
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4.14.22
さて、
以上のように〔V〕を読んでみると‥
さきほど提示した問題:
「悪路王」は、
“蝦夷の首領”‥つまり同情の対象なのか?
それとも、たんに成敗されるべき悪役なのか?
に対する回答は、次のようにまとめることができるでしょう:
“作者は、「悪路王」を、ウルトラマンにやられる怪獣のような‘悪役’として出しているのではない。
しかし、作者は、単に「悪路王」に同情しているのでもない。
むしろ、同情や批判を超えた先にある‘深い闇’の存在を表出しようとしている”
のだと。
宮沢賢治は、1912年中学4年の修学旅行で平泉を訪れた際には、“達谷窟”(達谷西光寺)には行かなかったようですが、
この時に中尊寺を詠んだ↓次の2首は、「原体剣舞連」の「むかし達谷の悪路王‥」の段落に通じるものを感じさせます:
#8 中尊寺
青葉に曇る夕暮の
そらふるはして青き鐘鳴る。
#9 桃青の
夏草の碑はみな月の
青き反射のなかにねむりき。 (歌稿B)
8番の歌は、花がすみの夕暮れにたたずむ中尊寺を詠んだものですが‥、2行目までは、そんな感じなのですが‥‥、3行目の
「そら ふるはして 青き鐘鳴る」
になると、ここに表出された特異な感覚には、ギョッとせざるをえません。。
まるで‘春の古寺の情趣’をぶちこわして横溢する“青い震え”のようなものがあります。それが「鐘」の音なのでしょうか‥
風景を引き裂いて、その向こうから姿を現して来る異界の鐘の音(異形のすがた?)とでも言ったらよいのでしょうか?‥
9番の歌の「桃青」は松尾芭蕉の別号。「夏草の碑」は:
「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」
の句碑でしょう。
「みなづき[水無月]」は6月の別名。年譜によると、中尊寺を訪れたのは5月29日ですが、もう6月の風光の中にある‥「夏草や‥」の石碑も何もかも、青葉の反射でグリーンに染まった世界に浸っている
↑そんな情景を詠んでいるのかもしれません。
しかし、ここでも少年賢治の特異な感性が顔を覗かせています‥
それは、「桃青の/夏草の碑」が、「兵(つわもの)」たちの朽ち果てた屍を連想させるからでしょうか‥
「桃青」も、「原体剣舞連」を読んだ私たちには、「鴇いろのはるの樹液‥草いろの火」を思い起こさせます。
ぼうぼうにはびこった草むらの中で、倒れかかった古い石碑が、透き通ったように青く染まって、眠り込んでいる‥
‥まるで、この世の情や思いを超えた彼方の“青い空間”が、「ねむり」の向うに見えるようです。
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