ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.14.21



33青い仮面(めん)このこけおどし
34太刀を浴びてはいつぷかぷ

「こけおどし」は、“見せかけはりっぱだが、中身のないこと”。
「原体剣舞」で、面をかぶった踊り手は黒面1人だけなのですが、どういうわけか、賢治はこれを一貫して「青仮面(あおめん)」と言っています。
怖そうな鬼の面をかぶっているが、かんたんにやられてしまう、ということでしょう。

しかし、
賢治は、1917年の短歌では、「青仮面」の若者に感傷的なまでに感情移入していました。
また、34行目以下には、この「青仮面」が受ける残虐な殺され方、のたうちまわる苦しみが、執拗なまでに描かれていることをも考え合わせますと、
「こけおどし」ということばで、作者が“悪役”を嘲けているなどと、考えるわけにはいかないと思うのです。

ここには、踊りの意味に対する賢治の誤解もあるようです。

中路正恒氏の研究によれば、“黒面”は、怨霊を鎮めて成仏させる空也法師の役柄なのだそうです。
刀を持って踊る8人の「戦士」は、怨霊となってさまよう亡者の役割で、
“黒面”の空也上人の指揮のもとで、3人の少女舞手が、かれらの燃え盛る怨念を鎮め、仏教に帰依させる、ということのようです:「ひとつのいのち」考(中路正恒氏) 「ひとつのいのち」考(中路正恒氏)【携帯】

☆(注) 「私が見聞したところを若干の資料と整合させて記せば、実際の原体剣舞の舞手は、四つのカテゴリーに分けられる。夜叉の面を顔にはつけず腰の背につけ、 頭には鶏羽の采を縛り付け、腰に白帯を結び、扇・面棒(或は太刀)をもって踊る、〈亡者〉とみなされる八人の剣士の一群。〈空也上人〉に擬される聖者の仮の姿とされる、『信坊子(スボッコ)』と呼ばれる、黒面を付け杖と軍配 をもって踊る一人。彼だけは腰に青空色の帯を締める。〔…〕荒 くれ踊っている亡者たちが、〔…〕徐々に慰められ、鎮められ、ついには戦いへの意志を放棄して、太刀(面棒)を捨てる、という趣旨のものである。亡者は 、踊りにおいてみずからの力と意志を充分に示た上で、はじめて仏教の教えによって慰められ、そして空也上人の聖なる力の前に、みずからの怨念を捨てる、というストーリーの踊りであると考えられる。」
 
35夜風の底の蜘蛛おどり
36胃袋はいてぎつたぎた

↑この「蜘蛛おどり」のような、剣舞の独特のステップも、

じつは、地下の怨霊を鎮めるための山伏の踏み足なのだそうです。

しかし、ここでも、賢治はそれを知らないので、「悪路王」が、田村麻呂の太刀を浴びて、断末魔の苦しみにのたうっているようすと理解しているのです。

ここで、こちらの詩ファイルの下のほうにあるリンクで、動画を見ていただきたいと思います⇒:詩ファイル:原体剣舞連

まず、3つのリンクのいちばん上:「北上翔南高校鬼剣舞部」の舞台上演ですが、

踊る前の最初の伴奏で、

「ダーダーダーダー ダースコダーダー」

という軽快な囃子のリズムを聴き取ってください。そう聞こえませんか?‥ギトンには聞こえるんですが。。。w

ビデオの中ほど:4:20 - 6:00 あたりで、「蜘蛛おどり」ステップが見やすいかもしれません。

11:00 - 以降は、2人1組になって、刀を抜いて対面で踊ります。刃を打ち合わせはしませんが、いまにも打ち合わせる迫力です。

次に、2番目のリンクで、「北上翔南高校鬼剣舞部」の街頭録画を見てください。
ただし、“刀狂い”の場面だけが収録されています。
やはり、街頭のほうが迫力がありますねw

最後に、3つめのリンクで、大人の剣舞を、比較のために見ておいてほしいと思います。

大人のほうは、テンポが遅いし、迫力が乏しいように思いませんか?‥‥ギトンには、そう思えるのですが‥

日本舞踏としては大人のほうが上なのかもしれませんが、‥宮沢賢治が称讃したような“剣舞連”の軽快な激しさ、おもしろさは、ここには見られない気がします‥

「ダースコダーダー」も聞こえませんよね?‥w
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