ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.14.18


. 春と修羅・初版本

28   むかし達谷(たつた)の惡路王
29   まつくらくらの二里の洞
30   わたるは夢と黒夜神
31   首は刻まれ漬けられ
32アンドロメダもかヾりにゆすれ
33   青い仮面[めん]このこけおどし
34   太刀を浴びてはいつぷかぷ
35   夜風の底の蜘蛛おどり
36   胃袋はいてぎつたぎた

28行目から〔V〕段落に入り、内容は一転します。

「達谷(たった)」は、“達谷窟(たっこくのいわや)”のことで、平泉にある・洞窟に毘沙門天をまつった岩屋堂です:Wiki: 達谷窟

坂上田村麻呂が、ここを拠点としていた「悪路王」ら蝦夷を、801年に討伐した記念として建てたとされています。

「惡路王(あくろおう)」は、朝廷勢力に抵抗した伝説上の蝦夷の首領で、
実在の人物としては、802年に田村麻呂に降伏して河内で処刑された“アテルイ”のことだとする説があります:Wiki: アテルイ

しかし、“悪路王”伝説が、はじめて記録されたのは、12世紀の『吾妻鏡』だそうで、戦闘の経緯、処刑された場所など、史実の“アテルイ”とは、かなり違います。

いずれにしろ“悪路王”は、“蝦夷”が平定されたあとで、朝廷側に都合よく作られた伝説上の“悪者”でして、実在の“アテルイ”らを意識しているかもしれませんが、直接関係があるかどうかは分からないと思います。

そこで、私たちに課せられた問題は:

宮沢賢治の・この詩に登場する「悪路王」は、
“朝廷に滅ぼされた蝦夷の首領”を意識しているのか‥つまり同情の対象なのか?

それとも、たんなる“悪者”──「氣圏の戰士」たちによって成敗される悪役でしかないのか?

というあたりでしょう‥

まず、宮澤賢治は、“アテルイ”という実在の蝦夷の首領に言及したことは、生涯を通じて一度もなかった、──ということは、銘記しておかなければならないでしょう。
賢治は、“アテルイ”や、その史実を、まったく知らなかった可能性もあると思います──当時の“国史”教科書には、坂上田村麻呂は必ず出てくるが、“アテルイ”などは、出てこなかったかもしれません。

つまり、作者は、「悪路王」とは、悪事を働いていた昔の盗賊で、田村麻呂に討ち取られた──ぐらいの知識しかなかったかもしれないのです。“蝦夷”が、東北人の先祖だなどとは、夢にも思わなかったかもしれない‥

しかし、他方で、賢治は、“人首丸伝説”を聞いていた可能性はあると思います。
“人首丸伝説”を聞いていれば、それが「悪路王」と関係があること★、“蝦夷”=悪者、坂上田村麻呂=正義の味方、という図式では割り切れないということは、分かるでしょう。

★(注) 伝説上の人物と伝説上の人物の続柄ですから、どうにでもなるのですが、人首丸は悪路王の子だという説と、甥だという説があるようです。

そして、この詩を見ますと:

31首は刻まれ漬[みづ]けられ

34太刀を浴びてはいつぷかぷ
35夜風の底の蜘蛛おどり
36胃袋はいてぎつたぎた

などと、田村麻呂に殺される「悪路王」のありさまを、ことさらに残虐に描写しているのが目立ちます。

田村麻呂は、討ち取った「悪路王」の首を、こなごなに刻んで漬物にした◇というのです。

◇(注) これは、中国の古典にヒントを得た描写だと思います。『史記』によると、孔子の弟子・子路(しろ, -543〜-481)は、死体を刻まれて塩漬けにされました:Wiki: 凌遅刑【残酷記述につき閲覧注意】
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