ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.14.9


次に、原体の剣舞に移ります。これらも1917年の短歌です:

(1)「やるせなきたそがれ鳥に似たらずや青仮面(メン)つけし踊り手の歌。」
(『アザリア』3輯)

(2) 604 さまよへるたそがれ鳥のかなしけ□□□その青仮面の若者の踊り

(3) 605 若者の青仮面(あおめん)の下につくといきふかみ行く夜をいでし弦月  
(歌稿A)

(4)「青仮面の若者よあゝすなほにも何を求めてなれは踊るや。」
(『アザリア』3輯)

原体のほうの短歌は、なぜか、「青仮面(あおめん)」の一人の踊り手にだけ集中しています。
この踊り手は、じっさいには黒面をかぶって踊るのですが、賢治は一貫して「青仮面」にしています。

素顔の4人の踊り手の少年は、1917年の短歌には出てきませんし、少女3人を賢治は全く無視しています。

原体剣舞の由来によると、この“黒面”は行基法師で、怨霊を鎮める役割なのだそうです。しかし、賢治は、由来を知らなかったと思われます。






(1)(2)で、「やるせなきたそがれ鳥」「さまよへるたそがれ鳥」と、10日間にわたって野山をさまよってきた地質調査の旅を思い返すようです。
踊り手は子供なのに、「青仮面の若者」と言っており、作者は、この踊り手に深く感情移入しています。

上伊手の時とは異なって、最初から「かなしけれ」という主情的な語句が出ています。

(3) 「青仮面」は、吐息をついている──躍動して息を弾ませているのではなく、何か知れない懊悩に溜め息をついているようすです。つまり、じっさいの踊り手とはかけ離れた作者の思いを述べるための風景になっているのです。
これは賢治本来の“スケッチ”ではなく、作者の主情で風景を色濃く染め上げる伝統的な寄物述思の和歌になっています。

(4) も同じですが、やや少年らしさが現れています。「求め」るものがあるから踊る──目の前の実景から離れ、自己の憂愁に深く沈み込んでいる作者は、何かを求めて行こうとする少年の心を、胸中に呼び覚まそうとしているのです。

雑誌『アザリア』には、上伊手の短歌は載せず、↑この原体のものだけを載せているのは、このような啄木調の詠嘆的な和歌のほうが、評判が良かったからだと思います。
『アザリア』の記事を見ると、合評会でも、宮沢賢治色の強い短歌は、あまり評価されていない──理解されなかったようです。

ですから、上の4首も、周囲の評価を狙って書いている可能性があります。

1922年に、再び(推定ですが)原体を訪れているのは、原体のほうは(上伊手のような奥地でなく)水沢駅に近い場所で見られたからでしょうけれども、そればかりでなく、

1917年の短歌では、十分に詠いつくせていないと、作者は感じていたのかもしれません。

そこで、次nから(ようやくw‥)『春と修羅』の「原体剣舞連」に、とりかかりたいと思います。
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