ゆらぐ蜉蝣文字
□第4章 グランド電柱
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4.12.3
. 春と修羅・初版本
10おい、きさま
11日本の萓の野原をゆくビクトルカランザの配下
12帽子が風にとられるぞ
13こんどは青い稗(ひえ)を行く貧弱カランザの末輩
14きさまの馬はもう汗でぬれてゐる
11-12行目は、メキシコ人のような鍔の広い帽子をかぶった農夫が、草丈の高いススキの間を、馬に乗って行くのでしょう。
麦わら帽子をメキシコ帽に見立てています。
「ビクトルカランザの配下」は、“勝利者カランザの家来”という呼びかけで、カウボーイのような颯爽とした感じです。
しかし、13-14行目のほうは、対照的に貧弱な印象です。
ヒエは、水田の雑草で、雑穀として栽培されることもありますが、
ここでは、雑草だらけの水田の傍を、駄馬(荷物を載せた馬)を曳いて歩いているのでしょう。
賢治は、当時のメキシコ情勢について、かなり理解していたと思われます。電車から見かけた農夫たちを、メキシコで農地改革を主張する「カランザの配下」たち、そして、カランサを支持する貧農や農業労働者に見立てて、皮肉まじりに「おい、きさま」と呼びかけているのです。
しかし、ここで、電車に乗った作者が、優越感を感じていると思ったら、大まちがえかもしれません。。。
というのは、
作者が乗っている《花巻電気軌道》の電車ですが、1両編成で、いまにも倒れてしまいそうな細い車体ですから、スピードは出なかったはずです。
とくに、花巻から温泉地へ向かって行くときは登り勾配なので、人が歩く速さより遅かったという話があります‥
その反対に、温泉地から下って来るときには、勢いにまかせて、ジェットコースターのように走ったらしい‥汗
しかも、乗客が多いときには、屋根のないトロッコの荷台に人を乗せて、“スリム電車”が引いて走りましたから、いつ脱線して投げ出されるかも分からないくらい怖かったと言います。
賢治は、1923年9月の「昴」という詩で、夜間にトロッコに乗せられて下るようすを:
「見たまへこの電車だつて
軌道から青い火花をあげ
もう蠍[さそり]かドラコかもわからず
一心に走ってゐるのだ
〔…〕
どうしてもこの貨物車の壁はあぶない
わたくしが壁といつしよにここらあたりで
投げだされて死ぬことはあり得過ぎる」
と書いています。
「ドラコ」(draco)は、ラテン語で竜(ドラゴン)のこと。
そういう電車ですから、
10おい、きさま
などと呼ばわっているほうが、ろくなものに乗っていないことになります。
おそらく、馬に乗った「ビクトルカランザ」の農夫は、作者の電車をどんどん追い越してゆくのでしょう。
「貧弱カランザ」の農夫も、電車よりは速いかもしれません‥
農夫たちには、徒歩より遅い電車は、役に立たない金持ちの道楽にしか見えないことでしょう。。
風を切って行く農夫たちの後ろから、安定の悪い木造電車に揺られてノロノロと進む作者は、自嘲ぎみに悪態をついているのですw‥‥
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