ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.12.2


「萓(かや)」は、ススキ、チガヤ、スゲなど、イネ科の雑草の総称です:画像ファイル:ススキ、チガヤ、スゲ 画像ファイル:ススキ、チガヤ

ススキとチガヤは、互いによく似た背の高い草で、白い大きな穂が特徴。スゲはこの二種より小型ですが、やはり穂を持っています。

広い草原をいちめんにおおうカヤは、かつては、家畜の飼料や、農家の燃料として重要でした。
賢治の時代、萱草原での草刈りは、農家にとって、避けられない重労働のひとつでした。

現在では…いろいろな原因で、各地にあった“かや野原”も、絶滅寸前にまで減ってしまいました。

「ビクトルカランザ」の「カランザ」は、メキシコの大統領ヴェヌスティアーノ・カランサ・ガルサ(Venustiano Carranza Garza 1915-1920在任)を指すというのが通説です。

当時メキシコは、軍人の独裁政権、大農園主中心の自由主義勢力、農業労働者の支持する社会主義勢力などが入り乱れて内戦状態でした。

“護憲軍”の統領カランサは、1915年に内戦を平定して大統領に就任し、1917年には、農地改革と司法独立を盛り込んだ民主的な新憲法(現在まで有効な革命憲法)を成立させました。

しかし、農地改革を盛り込んだのはカランサ配下の社会主義者たちで、カランサ自身は大農園主だったため憲法を無視した政治を進めた、とも言われています:画像ファイル:カランサ大統領

こうして、保守派からも革命派からも、カランサ政権に対する不満が高まって、再び内戦状態となり、
1920年には“立憲自由軍”が首都に侵攻するなか、カランサは逃亡を図って騙し討ちに遭い、就寝中に暗殺されました。

カランサ政権は、アメリカの承認も受けるなど国際的に有名でしたから、1920年のカランサ暗殺は、日本でも、大きく報道されたことでしょう。賢治も、2年前のメキシコ内戦の新聞報道は、記憶に残っていたのだと思います。

「ビクトル」は、カランサの名前ではないのですが、英語の victor(勝者) から、“勝利者カランザ”という意味合いで言っているのでしょうか。

. 春と修羅・初版本

01トンネルヘはいるのでつけた電燈ぢやないのです
02車掌がほんのおもしろまぎれにつけたのです
03こんな豆ばたけの風のなかで

10おい、きさま
11日本の萓の野原をゆくビクトルカランザの配下
12帽子が風にとられるぞ
13こんどは青い稗(ひえ)を行く貧弱カランザの末輩
14きさまの馬はもう汗でぬれてゐる






このスケッチは、《花巻電気軌道》という木造の路面電車に乗って、松倉付近の車窓から見たものです。路面電車は、花巻の市街から大沢温泉や鉛温泉へ行く道路の片側に敷設されていました。

このへんは、平地が終って、山に挟まれた狭い谷間へ入って行くあたりです。大豆畑や水田もあれば、山の斜面の雑木林も見えます。ただ、トンネルはありません。

萓(かや)、つまりススキなどは、未耕地でふつうに見られる草です。
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