ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.11.3


たしかに、「小岩井農場」に描かれた春の情景とは違う感じがします:

. 春と修羅・初版本

07光りすぎてまぶしくて
08 《よくおわかりのことでせうが
09  日射(ひざし)のなかの青と金
10  落葉松(ラリツクス)は
11  たしかとどまつに似て居ります)

「日射(ひざし)のなかの青と金」──カラマツも、もう5月のような繊細な芽ではなく、緑の針葉におおわれて、強い日射しの中でキラキラと輝いています。

芽生えの頃は、小さな宝石を散りばめた「とびいろの脚」でしたが、すっかり葉が伸びてみれば、トドマツのように立派な針葉樹です:画像ファイル・トドマツ

「よくおわかりのことでせうが」という、教師が学生に説明するような口調は、
作者の中のもうひとつの気持ち──わかっているけれども納得できない、おもしろくない…という気持ちを暗示しているようにも読めます‥

やはり、宮沢賢治は、小岩井農場を手放しで一方的に称讃していたわけではなく、一方にはこうしたアンビヴァレンツな気持ちを持っていたのだと思います。

さて、ここで、この5つのスケッチの作品日付を、見ておきたいと思います:

「風景観察官」:1922年6月25日(日曜)
「岩手山」:1922年6月27日(火曜)
「高原」:1922年6月27日(火曜)
「印象」:1922年6月27日(火曜)
「高級の霧」:1922年6月27日(火曜)

27日は平日なのに、4篇のスケッチが書かれています。
これらはみな、花巻とは思えない風景で、小岩井農場だとすれば納得できます。

そして、「印象」の「展望車」は、小岩井農場の《馬トロ》のように思われ、
「高級の霧」の「農舎」は、明らかに小岩井農場です。

まえに「風景観察官」のところで、この詩は日曜日に盛岡のあたりに出かけて書いたスケッチだという推測を述べましたが、25日(日曜)に出かけた先は小岩井農場だったのだと思います。

小岩井農場ならば、ホルスタイン種の乳牛がたくさんいるのは、納得できます。‘フロックコート’の農夫は、《育牛部》の雇員でしょう。

《育牛部》でスケッチをした時点でもう夕方だったのですから、花巻に帰ったのは夜遅かったと思われます。
帰宅した作者は、強く印象に残っている最後の《育牛部》でのスケッチだけを「風景観察官」にまとめ、
それ以外のメモは、もう時間がないので、後日に回したのではないでしょうか。翌月曜日には、朝から学校に出て教鞭を執らなければならなかったでしょうから。

そして、ようやく疲労もとれた火曜日の帰宅後に、残っていた日曜のスケッチ・メモを、4篇の作品にまとめたのではないでしょうか?

そこで、もう一度もとに戻って、1篇ずつ見て行きたいのですが、5篇のスケッチを時間の順序に従って並べ直せないでしょうか?

「高級の霧」は、岐れ道の白樺から《耕耘部倉庫》までです:小岩井農場略図(1)

「印象」は《馬トロ》ですから、《馬トロ》があるのは、「高級の霧」の少し前。

「岩手山」と「高原」は、農場の奥‥長者館耕地(現在の“まきば園”)より奥の《狼ノ森》〜姥屋敷方面と思われます。したがって、「高級の霧」よりもあとです。

「岩手山」の光景は、《一本桜》のあたりの丘の上から、澱りのように地平に沈み込んだ岩手山の姿を見ているのでしょう:画像ファイル・岩手山

そして、内容的から言って、「岩手山」→「高原」という順序でなければなりません。
海の底の澱りのように見えた岩手山が、

「やつぱり光る山だたぢやい」

と言って喜ぶのですから。

そして、「風景観察官」は夕方なので、いちばん最後に置きます。
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