ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
39ページ/88ページ


4.11.2


そういえば、高農卒業直後ですが、賢治は、保阪嘉内に、↓こんな手紙を書いていたことがあります:

「〔…〕私共は一諸に明るい街を歩くには適しません。あなたも思ひ出された様に裾野の柏原の星あかり、銀河の砂礫のはなつひかりのなかに居て火の消えたたいまつ、夢の赤児の掌、夜の幻の華の様なたいまつを見詰めてゐるのにはいゝのですが。私は東京の明るい賑かな柳並木明滅の膠質光のなかではさびしいとしか思ひません。」
(1919.8上旬 [153])

どうやら、宮澤賢治には、輝いて時代の先端を行くものに対する忌避、嫌悪、負い目の気持ちがあったようです。。。

東京の風物でも、古びたものや路地裏のような場所には、かえって親近感を覚えているのです:

「博物館にはいゝ加減に褪色した哥麿の三枚続旧ニコライ堂の錆びた屋根青白い電車の火花神田の濠には霧の親類の荷船きれいななりをした支那の学生 東京は飛んで行きたい様です。」
(op.cit.)

おそらく、“輝き”“明るさ”が、「高原」のように、鹿踊りなど土俗的なものに結びついていれば、作者も没入することができるのですが、そうでないと、作者は、自分が明るい場所から疎外されているように感じるのです。

作品「高級の霧」では、“明るさ”は、もっぱら否定的に感じられています。

それは、何の“明るさ”なのでしょうか?:

. 春と修羅・初版本

03白樺も芽をふき
04からすむぎも
05農舎の屋根も
06馬もなにもかも
07光りすぎてまぶしくて

 


「白樺」、「からすむぎ」、まぶしい「農舎の屋根」、「馬」──これらの舞台装置は、あるひとつの場所を指しています…

そうです。小岩井農場です!

これらの道具立てが、すべてそろう場所は、小岩井農場以外には、ありません。

「白樺」は、《農場本部》の先、網張街道と、耕耘部へ行く近みちの農道との分岐点に、目印の白樺の木が立っていました:小岩井農場略図(1)

そればかりか、白樺は、農場のどこにでも生えています:

01もう入口だ[小岩井農塲]
02 (いつものとほりだ)
   〔…〕
10向ふの畑には白樺もある
   (小岩井農場・パート2)

「からすむぎ」(エンバク)は、5月はじめに播種されたものが、もうかなり伸びて、畑はビロードの絨緞のようになっているはずです。

「農舎の屋根」は、《耕耘部・四階建て倉庫》のトタン屋根でしょう:画像ファイル・四階建て倉庫
この屋根は、1922年当時は、新しく張ったばかりで、岩手山頂からも見えるほど眩しく日光を照り返して輝いていました。

「馬」は、耕耘や運搬に使役される農耕馬、育成中の競走馬など、農場《牧馬部》を中心に、たくさんの馬が飼われていました。

つまり、“歩行詩作”から1ヵ月後に訪れた農場は、5月の時とはちがって、まぶしい初夏の陽に照らされて輝いていたのです──そうした農場風景に対する気後れ、疎ましさが、これらのスケッチに反映しているのだと思います。
.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ