ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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4.9.3


当時、男の人で髪を長く伸ばしている人は、ほとんどいなかったはずです。
しかし、山村の子供ならば、近くに床屋がないでしょうから、髪の長く伸びた子がいても、おかしくないと思うのです‥

この詩は、どこか高原で‥‥小岩井ならば、農場の奥、姥屋敷集落のほうで‥‥山の子供を見かけて書いたスケッチではないかと思います。
陽の照る野原、風の中で、元気よく跳ね回る子供たちを見たのではないでしょうか?

《太鼓踊り系》鹿踊りは、長く伸びた蓬髪のかつらを、面の両脇に垂らして踊ります。
踊り舞うたびに蓬髪が激しく左右に振り乱れるさまは、鹿踊りに無くてはならぬものでしょう。

日本では古い時代には、男も長い髪を左右に垂らし──近畿以西では、それを“みずら”に結ってまとめていました。
しかし、東北──蝦夷地ではどうだったのでしょう?“みずら”にもしないで長く垂らし、労働の時は適当に束ねていたかもしれません。

その後、武士の時代になって、中央の習俗は“ちょんまげ”に変わり、それが東北にも浸透してきた頃、古い蝦夷の習俗にこだわる人たちが、鹿踊りを始めたのではないかという気がするのです。

ふだんは“ちょんまげ”をして、京都や鎌倉に右へならえをしていても、
祭りの時だけは蓬髪のかつらを振り乱し、原始のリズムを響かせながら、蝦夷のエネルギーを発散して踊ったのではないでしょうか?‥

この詩は、《印刷用原稿》の段階では、「叫び」という題名でした。

「叫び」とは、痛い!苦しい!という叫びではなくて、“雄叫(おたけ)び”の叫びだと思います。

お祭りなどで、激動的な踊りや唄が盛り上がると、思わず掛け声が出てしまうように、
それは、身体の奥底から自然に迸り出て来る歓びの声なのです。


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