ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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ジャッキーノ・パリエリ「ナイアデス」




【38】 報 告





4.6.1


「報告」は、6月15日(木曜日)付。↓このように、たった2行の短詩です。

. 春と修羅・初版本

01さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
02もう一時間もつづいてりんと張つて居ります

「報告」という題名ですが、たしかにこの作品は、誰か特定人に向かって報告するような言い方で書かれています。

この作品に限らず、賢治詩には、「グランド電柱」章を中心として、誰かに語っているような口調のものや、対話風のものがかなりあります。

近代詩は一般に、俳句や短歌でも同じですが、特定の人に向けて発信したものではありません。

広く一般の読者を想定して──あるいは、少人数の俳諧仲間で詠まれる場合でも同じことで、仲間の外側にいる不特定の広がりを意識しています──詠うのです。

そして次第に、匿名の孤独な読者に宛てられた作者の内密のつぶやきとして、独語化して行きます。それは、近代小説の場合と同様だと思うのです。

しかし、歴史を遡れば、
詩は、もともと特定の名宛人に宛てたものだったのではないでしょうか?

おそらく原初の叙事詩の発生は、おおぜいの人々を代表して神、あるいは神々に対し呼びかける祝詞(のりと)のようなものだったのではないかと思います:

「怒りを歌え、女神よ、ペレイアスの子アキレウスの怒りと
 その惨害を、アカイアびとの上に計り知れぬ苦痛を及ぼし、
 無数に英雄の勇ましき魂をハデスの家に
 送り、黄泉の狗と猛禽らの餌食となしたる
 その怒りを。ゼウスの呪いは成就せられたり。
 民らの王、アトレウスの息子と、輝ける
 アキレウスとの決裂せし日より。」

(ホメロス『イリアス』「第一歌」, from The Chicago Homer ギトン仮訳)

叙事詩の伝統は、伝説、物語、小説を支脈として派生していきます。紀元1世紀にローマで書かれた『サテュリコン』は、世界最初の小説だったとも言われます:サテュリコン

いずれにせよ、それらは、神という名宛人を喪失した結果、不特定の読者に向けられて行くのです。

しかし、その一方で、叙事詩と並行して、特定の人に宛てて作られる短い詩がありました。

たとえば、歌垣や、沖縄の“毛遊び”のようなものは、どこでも、非常に古くから行なわれていたと思われます。

最も古い抒情詩と言われるギリシャのサッフォーの詩句は、特定の神に宛てて呼びかけるか、もしくは特定の相手に向かって、愛や愛の拒絶を語っていました:サッポーの詩作品

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