ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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《O》 沼ばたけのアンジェリー



【33】 厨川停車場





4.1.1


「真空溶媒」から「小岩井農場」まで、大作ばかりが並んでいましたが、作品日付を見ると、5月18日から21日までのわずか4日間のできごとなのです。
それこそ春を迎えた北国の野山のように、分厚い雪の下で鼓動していた作者の想念が、一気に溢れ出してきた感があります。

対照的に、「グランド電柱」という新しい章は、短い作品がたくさん並んでいて、時期も6月から9月までにわたっています。しかし、「原体剣舞連」や「青い槍の葉」のような重要な作品も、含まれています。

「厨川停車場」は、『春と修羅(初版本)』に収録されなかった作品ですが、「グランド電柱」章の最初のスケッチの2日前:1922年6月2日の日付がついています☆

☆(注) ところが、この下書きの原稿用紙は、「厨川停車場」の後に続けて、「夜と柏」という詩が用紙のおしまいまで(詩の途中まで)書かれているのです。この「夜と柏」は、第6章の「風林」の先駆形で、日付は1923年6月3日なのです。(「風林」の日付にも問題があって、《印刷用原稿》では1923年6月3日ですが、【初版本】では1922年6月3日になっています。しかし、収録順序は1922年6月の場所ですから、これは単なる誤植でしょう)そこで、「厨川停車場」はもしかすると、本当は1923年6月2日付けとすべき作品かもしれないのですが‥、日付を訂正できる根拠資料も無いので、作者の記入した1922年6月2日付のままとしました。

内容的にも、大作「小岩井農場」をものしたあとの落ち着いた作風が現れているので、「グランド電柱」の最初に入れることにしました。

「厨川」は、東北本線下りの盛岡の次の駅として、1918年11月に開業しています。同年3月に盛岡高等農林を卒業し、7月以降は花巻の実家に戻っていた賢治にとって、学校の関係では利用する機会のなかった停車場なのです。

. 厨川停車場

01(もうすっかり夕方ですね。)
02けむりはビール瓶のかけらなのに、
03そらは苹果酒(サイダー)でいっぱいだ。
04(ぢゃ、さよなら。)
05砂利は北上山地製、
06(あ、僕、車の中ヘマント忘れた。
07 すっかりはなしこんでゐて。)

08(あれは有名な社会主義者だよ。
09 何回か東京で引っぱられた。)
10髪はきれいに分け、
11まだはたち前なのに、
12三十にも見えるあの老けやうとネクタイの鼠縞。
 
13(えゝと、済みませんがね、
14 ほろぼろの朱子のマント、
15 あの汽車へ忘れたんですが。)
16(何ばん目の車です。)……
17 (二等の前の車だけぁな。)

18Larix, Larix, Larix,
19青い短い針を噴き、
20夕陽はいまは空いっぱいのビール、
21かくこうは あっちでもこっちでも、
22ぼろぼろになり 紐になって啼いてゐる。

この詩は何を主題にしているのか?‥ここに登場する「有名な社会主義者」の青年に、宮澤賢治はじっさいに会ったのか?‥といったことが気になりますが‥

ギトンの考えを言いますと:

賢治の《心象スケッチ》は、本文だけで舌足らずな場合には、詩の題名を内容のヒントにしている場合が多い──たとえば、第1章の「陽ざしとかれくさ」「手簡」──ことから、この詩は、厨川という駅をテーマにしたものではないでしょうか?‥w

作者が盛岡に住んでいた時にはまだ無かった「厨川(くりやがわ)」という新しい駅に降りてみたら、こじんまりとした小ぎれいな駅だったので、その午後〜夕方の風景を詠み、
そこに、都会風のオシャレな青年を登場させて、岩手の田舎風景が、エスプリあふれる青年の新鮮なキャラとほどよく調和した世界を、創り上げたのではないかと思うのです。

したがって、この青年は作者の創作だろうと思います。

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