ゆらぐ蜉蝣文字


第4章 グランド電柱
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【37】 青い槍の葉





4.5.1


. 春と修羅・初版本
「青い槍の葉」は、1922年6月12日(月曜日)付ですが、「(mentalsketchmodified)」という副題が付いています。

この副題は、第1章の作品「春と修羅」、この章の「原体剣舞連」にも付いているように、“モディファイ”された《心象スケッチ》です。

つまり、作者のふつうの《心象スケッチ》のように現場《スケッチ》メモをまとめて推敲した程度ではなく、
よくよく構想を練って変形した結果──という意味なのでしょう。

この詩は、『春と修羅』収録作品の中では、ちょっと毛色の違ったものではないかと思います。

まず、字数のリズムが定型的で、読んでいると、ちょっと型にはまった感じがします。

そのせいか、“詩”というより、小唄か小学校唱歌の歌詞のような感じがします。つまり、“童謡”に近いものです。

公表形態にも特質があります。
この詩は最初、《国柱会》の機関紙『天業民報』に投稿して掲載されました。

宮沢賢治の生前に(同人誌以外の)公の雑誌に載った数少ない詩作品の一つでして、
1923年8月(『春と修羅』《初版本》の8ヶ月前)に掲載されました。

『春と修羅』以前の初期の賢治は、童謡や唱歌を創って投稿することによって、自作を世の中に出す機会を狙っていたようです。
最初に採用掲載されたのは童謡で、

『愛国婦人』1921年9月号に掲載された「あまの川」という童謡でした:

   あまの川

あまのがは
岸の子砂利も見いへるぞ。
底のすなごも見いへるぞ。
いつまで見ても、
見えないものは、水ばかり。

この雑誌は、《愛国婦人会》という団体の機関紙で、
《愛国婦人会》は、名望・資産・社会的地位のある婦人のみ紹介制で入会できる組織だったそうです(Kenji Review)。賢治は、母・宮澤イチが会員だったので、同誌の文芸懸賞募集に応募したのです。

仲間内の同人誌や『校友会雑誌』のような・投稿すれば載るようなものではなく、審査を経て公器に掲載された作品は、これが初めてでした。

きわめて平易な言葉だけで書かれていますが、「天の川をじっと見つめても、水だけはどうしても見えない」という意外な感覚が表現されていておもしろいと思います。“オトナばなれした感覚”と言ってもよいのではないでしょうか。





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