ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.6.22


ここで【清書稿】は「第六綴」に入ります。

. 「小岩井農場」【清書稿】

「みちが俄かにぼんやりなった。
 から松はあるし草はみぢかいし
 実に野原の模型だけれども
 姥屋敷まで行く筈の
 地図にもはっきり引いてある
 このみちがこんな風では
 何だかすこし便りない。」

賢治は、また道が分からなくなってきました:写真 (ヌ) (ル)

賢治が持っているのは、陸地測量部〔現在は国土地理院〕の5万分ノ1地形図と思われますが、地図に書いてあるとおりの道が、そのまま現地に有るとは限りません☆。私有地である農場の中の道ですから、必要に応じて、新しい道を作ったり、整備しますし、使わなくなれば、自然に草や藪が茂って廃道化してしまいます。

☆(注) これは、現在の国土地理院地形図でも同じことです。地図に出ている道は必ず有るものだと思っている人は、山で道に迷う人です。地図が正確なのは測量した時点においてであって、永久にではありません(笑)。そのために、地形図には測量年月日が書いてあるのです。地形図に基づいて作られるナビや観光地図でも、もちろん同じことです。

しかも、5万分ノ1地形図では、あまり細かいところまでは正確に描けないので、
賢治がたどろうとしている・姥屋敷付近を抜けて→春子谷地→柳沢へ行く道が、どれなのか、よく判らないのです。

「から松はあるし草はみぢかいし
 実に野原の模型だ〔…〕」

と言っているのは、“長者館3号”耕地のことで、広い畑のへりに沿って、カラマツが植林されていました。

ちょうど、春に播種した牧草か燕麦が、生え出てきたところで、手入れされた芝生のようにきれいな風景になっていたのです:. 小岩井農場略図(2) 写真 (チ) (リ)

「向ふもはたけが堀られてゐる。
 白い笠がその緩い傾斜をのぼって行く。」

「向こう」に見える「はたけ」とは、“長者館2号”耕地で、小岩井農場でも最も広い約37ヘクタール(1枚の畑の広さが600m×600m!!!)の耕地です☆

“長者館2号”の耕地面は、ゆるやかな上りスロープで、耕地の奥は小高い丘になっているので、賢治の歩いている道から、“長者館3号、1号”を隔てて、よく見えるのです。

広い畑なので、中央に作業用の農道が切ってあります。その“長者館2号”の中の農道を、いま、「白い笠」の農夫が登って行きます。

「はたけが掘られている」と言っているのは:
当時の作業日誌によると、5月21日は、この畑でトウモロコシの播種作業が行なわれていますから、
トウモロコシの種を蒔くための長い条痕が、一面に引いてあったのだと思われます。

☆(注) 長者館耕地は、“まきば園”の奥から県道219号の東側一帯にかけて広がっています。しかし、賢治が描いているような小高い斜面(スロープ)は、長年の耕耘によって崩れ、ふち取りのカラマツ林も今は無く、当時の面影を探すのは容易ではありません。

「白い笠がその緩い傾斜をのぼって行く。
 笠は光って立派だが
 やっぱりこんな洋風の
 農場の中では似合はない。」

岡澤敏男氏によると、農場の女子作業員は、“白い菅笠”と「かつぎ」を必ず着用する決まりになっていたそうです。

ところが、さきほど女子作業員の集団に出合ったところの描写では、プラトーク風の「かつぎ」は書いてありましたが、“菅笠”のことは、まったく書いてありませんでした。

つまり、賢治は自分の美意識に従って、「洋風の/農場の中では似合はない」菅笠を省略して、“端正なギリシャ風の”農婦たちを描いていたのです(『賢治歩行詩考』,pp.82,102-103)
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