ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.6.18


(ア) 一人で農場歩きをするのは「寂[さび]しい寂しい」。堀籠さんに「早く帰って会ひたい」

  ⇔

(イ) 街では「私はいつもはゞけてゐる」=はみ出し者だ。野原を一人で歩いていたほうが楽しい。


二つの思考のあいだを、作者は、行ったり来たり、堂々巡りしています。

作者の中では、(ア)(イ) どちらが勝っているのでしょうか?

. 「小岩井農場」【清書稿】
↑よく見ていただくとわかるように、(イ) は【下書稿】には無いのです‥ (イ) はすべて【清書稿】以後の書き加えなのです!

たとえば、

「こんな広い処よりだめなんだ。
 野原のほかでは私はいつもはゞけてゐる」

の部分は、【清書稿】での書き加えです。

そういえば、「パート4」の:

89いまこそおれはさびしくない
90たつたひとりで生きて行く
91こんなきままなたましひと
92たれがいつしよに行けやうか
   〔…〕
96それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
97そんなさきまでかんがへないでいい

という独白も、【下書稿】では、

「もう寂しくないぞ。
 誰も私の心もちを見て呉れなくても
 私は一人で生きて行くぞ。
 こんなわがままな魂をだれだって
 なぐさめることができるもんか。
 けれどもやっぱり寂しいぞ。」

となっていました。つまり、【下書稿】の段階では、「けれどもやっぱり寂しいぞ」で終っていたのです。

現場では、さびしい気持ち、‥野原を歩きながらも、じつは誰かに凭れかかりたい気持ちが、ずっと強かったのです。

それを、推敲の過程で、(イ) (街より野原) を書き込んで、“街より野原が好き”“人より自然を愛する”宮沢賢治像を、自分で創作している──ということが分かります。。。

じっさいのところ、
宮澤賢治という人は、アルピニストや、ハーミット(世捨て人)のような心底からの自然愛好家だったかどうか、ギトンは疑問に思っています。

それは多分に、本人自身によって創られた虚像なのではないか?‥

意外に、賢治は都会指向でシティ・ボーイなのではないか?‥

野原へ行って、新鮮なエネルギーを吸い込むと、そのエネルギーは、‘人の間’へ戻って行くことに向けられるのです。

自分は‘はみ出している’などと言いながら、その‘はみ出し’を何とか取り繕って、自分を人々の間へ押し込もうとするのです。

この詩集『春と修羅』の最初の章では、‘人外の世界’から下りて来て、‘人界’へ入って行こうとしては、さまざまな障害に遭って跳ね返される、跳ね返されてもまた入って行こうとする…悲愴なまでに根強い志向が現れていたと思います。。。

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