ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.6.17
ネットには、
「大股で歩くと着物の裾が、はばけるしょっ!」〔下着の裾がスカートからはみ出して、みっともないでしょ〕
という例が出ていました:北海道弁ミニ講座
また、北海道では、本義の「喉に詰まらせる」のほうも、“口からはみだすほど頬張る”と説明している方がおられました。
その例として:
「そんなにあわてて食べんでも。口からハバケてるしょ」〔口からはみ出しているでしょ〕 ⇒:北海道弁辞典
秋田方言・他のブログでも、「はばける(喉に詰まらせる)」は、
「ある場所がいっぱいの状態になってつかえることが原義」
「原義は、何かの容量をオーバーすること」
──と説明している方がいらっしゃいました:複眼鏡 コメント:すいか泥棒
そうすると、現在、北日本の“共通語”としては、喉に詰まる、つかえる、という意味でもっぱら使われていますが、
もともと、この語はもっと広く「はみ出す」という意味で使われていたのではないか?
──ということが想像できるわけです。
そして、本来の広い原義は、標準語の「はみ出す」「はみ出る」に取って代わられて、使われなくなり、
「はみ出す」という標準語では表現しきれない“口からはみ出す”ケースだけが、「はばける」の意味として残った──ということではないでしょうか。‥
‘文化の中心から遠い周縁部ほど、古い言葉や言い回しが温存される’──ことは、言語の歴史の法則性と言っていいでしょう。
本州で、「はばける」の語義が狭くなってしまった後も、北海道では、原義が生きて使われているのではないでしょうか?
そういうわけで、賢治の時代にはまだ、
「はばける」=はみ出す
という広い意味でも使われていたかもしれません。。。
だとすれば、
「野原のほかでは私はいつもはゞけてゐる」
とは、
野原☆以外=町では、人々のあいだでは、私はいつも、はみ出している⇒はみ出し者だ──
という意味に理解できるのではないか!
これはギトンの新説かもしれませんが、一考に価するんではありませんかね?w
☆(注) 「のはら」という語も、宮沢賢治は、草原、原っぱだけでなく、田畑、原野なども含めて、広く“田園”“平野”というような意味で使っています。木の生えている山地(つまり、「森」)に対して、「のはら」なのだと思います。
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