ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.6.16


. 「小岩井農場」【清書稿】

「いゝや、つまらない。やっぱりおれには
 こんな広い処よりだめなんだ。
 野原のほかでは私はいつもはゞけてゐる」

「はばけている」という言葉の意味がよく分かりません。

ギトンが調べてみた限りでは、およそ次の3通りが考えられると思います:






【A説】「はばける」=食べ物を喉に詰まらせる、むせる。

ネットで調べると、新潟、秋田、山形、北海道の方言として、「はばける」は:

 食べ物(麺類やお餅)を一気に飲み込もうとして喉に詰まる、オエッとなったり、むせたりすること

──だそうです。

津軽や、岩手県の一部でも言うようです。
例えば、大船渡の銘菓に「かもめの玉子」という饅頭がありますが、これはかなり大きいので、一口で食べようとすると「はばける思いをしかねない」と、「食べログ」の口コミに盛岡のかたが書いておられました。

賢治研究の例会でも、この語義で説明しているものがありました:神戸宮沢賢治の会『会報』

しかし、この‘喉に詰まる・つかえる’という意味では、賢治の「小岩井農場」の文脈には、合わないように思います。

【B説】気がふさぐ。遠慮して小さくなっている。

賢治研究者の論文で、この語義で解説しているものがあります:

「〈やつぱりおれには/こんな広い処よりだめなんだ。/野原のほかでは私はいつでもはゞけてゐる〉と、小岩井の広々とした〈野原〉での解放感と、町での一般の生活者の中における〈はゞけ〉(気がふさいではればれとしない。遠慮している。小さくなっているの意)た気持ちとを語っている。この『下書稿』『下書手入稿』の記述が、詩『小岩井農場』の〈わたくし〉の、心の圧迫をも語っていると言えよう。現実生活において、周辺の人々とうまく交流でぎないことが、〈わたくし〉に心の圧迫感を感ぜしめ、なんとかその状態から脱出しようと切実な思いを抱いて小岩井の広い野原と空へやって来たのだ。」
渡部芳紀「『小岩井農場』論」:『解釈と鑑賞』1982年12月.

たしかに、作品の解釈としては、なるほどと思わせます。

しかし、「はばける」という言葉には、こういう意味が本当にあるのでしょうか?

現在の方言では、このような意味で使っている地方は無いようなのですが、賢治の時代には、こういう意味で使われていたのでしょうか??
渡辺氏は、どんな根拠があって、この語義を主張しておられるのか、明らかではありません。

【C説】「はばけている」=はみ出している。

方言の「はばける」(はばげる、はんばげる)に戻りますが、

北海道方言では、「喉に詰まらせる」以外に、「はみ出る」という意味があるようです。

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