ゆらぐ蜉蝣文字
□第3章 小岩井農場
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3.6.15
しかし、このコースを全部歩くと、滝沢駅に着くのは夜になってしまいます:
. 「小岩井農場」【清書稿】
「もう柳沢へ抜けるのもいやになった。
柳沢へ抜けて晩の九時の汽車に乗る。
十時に花巻へ着き
白く疲れて睡る、
つかれの白い波がわやわやとゆれ…
[寂しい寂しい。二時の汽車へは間に合はないのかな。]
五時の汽車なら丁度いゝ。
学校へ寄って着物を着かへる。
堀篭さんも奥寺さんもまだ教員室に居る。
錫紙のチョコレートをもち出す。
【けれどもみんながたべるだらうか。」
当時の時刻表を見ると、滝沢駅に停車する午後の上り列車は3本:
12:32
15:33
20:41
滝澤20時41分発に乗ると、盛岡着は21時、花巻に戻るのは22時になってしまいます。
15時33分滝沢発に乗れれば、午後5時ころ花巻着となって、ちょうどよいはずなのですが、賢治は時刻表を間違えて覚えていて、この列車は、滝澤に停車しないと思い込んでいるようなのです。
花巻着午後10時では、学校へ寄って堀籠氏らと談笑して過ごすには遅すぎます。
「二時の汽車」は、盛岡を14時ころ出る上り列車のことでしょう。
「五時の汽車なら丁度いゝ。」と言っていますが、歩いて直接盛岡に出て、17時ころ盛岡発の列車に乗ろうと言うのです。
「パート1」では、鞍掛山麓の春子谷地湿原で、オキナグサの群落を見たりして、柳沢まで歩く計画を語っていましたが、
いまは、堀籠さんに会いたい気持ちが募ってしまって(花より男子??)‥「寂しい寂しい。」‥「もう柳沢へ抜けるのもいやになった。」
2時または5時盛岡発の列車で帰るためには、Uターンして小岩井駅に戻るか、農場から直接盛岡まで歩かなければなりません。
学校へ寄るについても、賢治は心配しています。錫紙(‘銀紙’に同じ)に包んだチョコレートを、「みんながたべるだらうか」と言うのです。
当時は、チョコレートは大変贅沢な貴重品でしたが☆、やはり大人の男性どうしのプレゼントとしては、変に思われたのでしょう。賢治は、そのことを気にしています。「奥寺さん」は、賢治とは小学校時代の同級生で、助教諭心得として勤務していました。
つまり、きょうの宿直は2人とも、賢治と繋がりのある人なので、気安いのです。
そうやって、堀籠氏と‘仲直り’しようと考えているわけです。
☆(注) 当時、国産の板チョコは1枚20銭で、あんパン10個ぶんの値段だったといいます。『賢治歩行詩考』p.78.
しかし、学校へ寄るためには、野原歩きは切り上げて盛岡に戻らなければなりません:
「もう帰らうか。こゝからすっと帰って
多分は三時頃盛岡へ着いて
待合室でさっきの本を読む。
【いゝや、つまらない。やっぱりおれには
こんな広い処よりだめなんだ。
野原のほかでは私はいつもはゞけてゐる
やっぱり柳沢へ出やう」
「いゝや、つまらない。‥」以下の4行は、【清書稿】で加えられた部分ですが、
「はばけている」という言葉の意味がよく分かりません。
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