ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.6.3


   塔中秘事

雪ふかきまぐさのはたけ、
玉蜀黍(きみ)畑漂雪(フキ)は奔[はし]りて、

丘裾の脱穀塔を、
ぼうぼうとひらめき被ふ。

歓喜天そらやよぎりし、
そが青き天(あめ)の窓より、

なにごとか女のわらひ、
栗鼠[りす]のごと軋[きし]りふるへる。

「まぐさのはたけ」は、牧草地。当時の小岩井農場は穀草式輪作農業をしていたので、各耕地は、交替で穀物畑と牧草地にしていたはずです。
「玉蜀黍畑」は「きみばたけ」と読んで、意味はトウモロコシ畑のことです。
「漂雪(フキ)」は、第1章の「日輪と太市」に出ていましたが、方言で吹雪(または地吹雪)のこと。
「歓喜天」は、もともとインドの神ですが、仏教では財運・福運をもたらす守護神とされます。しかし、象頭の男女2体が抱擁合体した形像で表されるため、日本ではもっぱら密教で祀られ、また、像は秘仏とされて公開されません。“聖天”ともいいます:画像ファイル・歓喜天

「歓喜天」は、現世利益をもたらす神とされ、最澄は、「貧乏人でもこの神の名を聞けばたちまち裕福になり、卑しい地位の人間でも高い地位につけるであろう」と教えているそうです。

「歓喜天そらやよぎりし」:歓喜天が、空をよぎったか?‥と言っているわけです。

「青き天の窓」は、倉庫の高くにあるガラス窓が青く見えるということ。
. 画像ファイル・四階建倉庫←じっさいに、青いですねw おそらく、当時のガラスは、不純物が多かったので青いのだと思います。

それでは、まず【下書稿(1)】です:

藍銅鉱 今日もかゞやき
はかなしや 天の湯気むら

これはこれ岩崎と呼ぶ
大ブルジョアの農場なれば
大豆倉庫は三階にして
ガラス窓さへ たゞならず

太陽 雲を出でぬれば
せはしき雪の反射あり
その なめらけきガラス窓より
栗鼠の声して わらひ もれくる

「藍銅鉱」は、青い窓ガラスのことでしょう:画像ファイル・藍銅鉱

「天の湯気むら」は、空にかすれるように浮かんでいる雲でしょうか。巨大な「大豆倉庫」が堂々とそびえて輝いているので、空の雲さえ儚なげです。
“四階建倉庫”を、なぜ「三階」と言っているのかというと:画像ファイル・四階建倉庫

↑ごらんのように、外から見ると三階建てのように見えます。

日が指すと、耕地の雪がぎらぎらと反射し、ガラス窓は、いよいよなまめかしく光ります。
そういえば、「藍銅鉱」の・つるつる光る藍色の面は、なまめかしい印象があります。

そして、くくくく‥と、抑えたような高い笑い声が、倉庫の中から洩れてきます‥

その異様な感じが、大農場と倉庫の威圧的な印象に重なっています。

この下書きが書かれたのも、おそらく晩年と思われますが、『春と修羅』時代に小岩井農場に抱いていたのとは、かなり違うイメージを持つようになっていたことが分かります。

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