ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.2.2


. 春と修羅・初版本
この・オリーブ色☆の背広の「おとなしい農学士」に対して、

賢治のほうは、今朝花巻で汽車に乗る前に勤務先の農学校に立ち寄り、実習用の汚い黄色の作業服に着替え、いつもの黒いラシャのオカマ帽子をかぶっています★
これから踏破する長い距離を思い、肩をいからして歩いていることでしょう。

この二人の格好は、いかにも好対照です。

☆(注) オリーブ色は、オリーブの葉のような濃い緑色:画像ファイル・オリーブ、オリーブ色。なお、この「農学士」については、これまで、あまり論じられていないようなので、スポットを当ててみました。

★(注) 『賢治歩行詩考』p.15.の推定を、ギトンも支持します。というのは、まず服装については、 「パート7」88行目に、「雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる」とあります。帽子については、同じく 「パート7」33行目に、「シヤツポをとれ(黒い羅沙もぬれ)」とあります。着更えについては、【下書稿】・【清書後手入稿】「第五綴」に、「いま私の担当箱の中のくらやみで/銀紙のチョコレートが明滅してゐる筈だ。/それは昨夜堀篭さんが、/うちへ/遊びに来ると思って/夏蜜柑と一諸に買って置いたのだ。」とあって、作者は今朝学校へ寄って、「担当箱」(ロッカー)にチョコレートを入れてきたことが分かります。また、「五時の汽車なら丁度いゝ。/学校へ寄って着物を着かへる。」とあって、帰りがけに学校で、作業服を着更えると言っているので、学校には、家から着てきた、おそらくよそ行きの服が、置いてあるのです。

にもかかわらず、賢治は、「化學の並川さんによく肖たひとだ」「オリーブのせびろなどは/そつくりをとなしい農學士だ」などと、親しみを抱いています。

逆に、「農学士」のほうから見れば、賢治は、労務者にしか見えない・よごれた作業服を着て、ラシャの黒い“お釜シャッポ”をかぶった得体の知れない人物です。そういう変な人に、なれなれしい視線で後ろからチラチラ見られているのは、あまり気持ちのよいものではないでしょうねwwww

駅のような場所で、ギトンのように(←)おとなしそうな顔をしていると、よくホームレスのような格好の変なオジサンに、なれなれしく話しかけられて閉口することがあるのですが(ホントですよw)、「農学士」から見た・このシーンは、そんな状況ではないでしょうか。

この「農学士」と賢治は、乗換駅の盛岡でも、(橋場軽便線のホームで?)いっしょになりましたが、どちらからも話しかけなかったようです:

05あのオリーブのせびろなどは
06そつくりをとなしい農學士だ
07さつき盛岡のていしやばでも
08たしかにわたくしはさうおもつてゐた

小岩井駅◇は、ホームから駅舎の待合室を通って外に出るようになっているのでしょう:⇒写真 (a)

◇(注) 橋場軽便線は、1921年6月に盛岡〜雫石間 (16.0km) が新規開業したばかりでした。小岩井駅も、この時に新設されました。1922年7月には、雫石〜橋場間 (7.7km) が延伸開業されています。↑写真(a) は現在の小岩井駅舎ですが、当時の駅舎も構造は同じだったと思われます。




小岩井駅(1921年頃?)

. 春と修羅・初版本

09このひとが砂糖水のなかの
10つめたくあかるい待合室から
11ひとあしでるとき……わたくしもでる

砂糖水のようにねっとりした冷たい雰囲気が、この二人の間を支配しています。

ところが、駅舎から外へ出るやいなや、「農学士」のほうは、そこに待っていた上等な馬車にひらりと飛び乗ってしまいます:

12馬車がいちだいたつてゐる
13馭者がひとことなにかいふ
14黒塗りのすてきな馬車だ
15光澤(つや)消けしだ
16馬も上等のハツクニー
17このひとはかすかにうなづき
18それからじぶんといふ小さな荷物を
19載つけるといふ氣輕なふうで
20馬車にのぼつてこしかける

のちの展開から推測すると、これは小岩井農場からお出迎えに来た客用馬車で、「農学士」は農場のお客様なのです(『賢治歩行詩考』,pp15-16)。競走馬の買い付けに来たお金持ちの秘書かもしれません。

16馬も上等のハツクニー

評判の小岩井ハクニーでしょう。ハクニーは、もともとイギリスで貴人の馬車を挽く馬として改良された品種ですから、優雅で軽やかな足並みが特徴です:画像ファイル・ハクニー
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