ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.28


. 春と修羅・初版本

101すきとほるものが一列わたくしのあとからくる
102ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り
103またほのぼのとかヾやいてわらふ
104みんなすあしのこどもらだ
105ちらちら瓔珞もゆれてゐるし
106めいめい遠くのうたのひとくさりづつ
107緑金寂静のほのほをたもち
108これらはあるひは天の鼓手、緊那羅のこどもら

しかし、この「すあしのこどもら」は、岡澤敏男氏によって実証的に明らかにされたように、実在の農場の子どもたちだったのです。

ここで、農場の子どもたちの登校の列に出会ったことが、作者の気分を飛躍的に転換させた原因なのです。

たしかに、作者は、100行目までに述べられた不安が引き寄せた異空間へと、没入してゆくのですが、
それは「青黒い」世界ではなく、光の中で躍動する世界となっているのは、子どもたちとの出会いが惹き起こした新たな展開なのだと思います。

すなわち、作者の《スケッチ》は、外部からの衝撃によって、新たな展開を迎えるのです。

ここに描かれている「こどもら」が、現実に賢治の出会った子どもたちだったことを明らかにされたのは、岡澤敏男氏です。いま賢治が歩いているのが、農場本部から小岩井小学校の前を通ってゆく道すじであることは、詩行に書いてあるのですから、通学の生徒たちに出会うことは当然に考えられてよいことなのです。「透き通るもの」、‘瓔珞を付けている’といったモディフィケーションはあっても、じっさいに会った生徒たちの姿をもとにしていると考えるのは自然です。






そこで、101行目「すきとほるものが一列わたくしのあとからくる」以下のパッセージについて、岡澤氏の解釈を引用してみます:

「〈誰かがついて来る/ぞろぞろ誰かがついて来る/うしろ向きに歩けといふのだ〉と下書稿に書いています。まだ姿は確認できませんが、音声で子供だと分かったのです。子供らは、四つ森の手前から少し坂道が急な勾配になるので、みんなで声を掛け合っています。賢治が後ろ向きになって見たとき、子供たちは四つ森の坂を登りきって、先頭の子供が頭を出し順次に子供たちの上半身が見えたところでした。ちょうど坂の上には陽炎が燃えていて、子供たちが陽炎に包まれたのでしょう。
  たしかにたしかに透明な
  光の子供らの一列だ。
  ……………………
     (下書稿)」
(『賢治歩行詩考』pp.67-68.)

. 小岩井農場略図(1)
こちら↑の2枚目の地図「下丸5〜8号拡大図」を見ていただきたいのですが、

いま作者が立っているのは、赤矢印「→」の近くの農道の上です。

作者は、さきほど、「雑木散生地」のほう(赤矢印「↑」付近)から‘聖なる地’下丸7号を見渡して、いちばん奥の「へ3」に“幽霊桜”があるのを見たあと、

地質時代の幻想に耽りながら四ツ森を越えて北上し、「→」まで歩いて来たのでした。

その時、作者の後ろから──南の「雑木散生地」のほうから、小学生の一団が追いついて来ました。

いなかの子供は脚が強いですから、ぶらぶらと思索に耽って歩いている作者よりも、相当に歩速が速くてもおかしくはありません。

現場は、(南から来ると)四ツ森のあたりで上り坂になっています(⇒写真 (x) (y) (z))。したがって、作者の位置から振り返って見ると、あとから来る子供たちは、まず四ツ森あたりの坂の地面に頭が見え、次第に上半身から見えて来、つぎにその後ろの子供の頭→上半身→脚というように見えて来るはずです。

そして、ちょうど昼過ぎの時刻で(作者の乗って来た列車は、小岩井駅10時54分着でした)、道にも野原にもゆらゆらと陽炎(かげろう)が立っています。陽炎で揺れて光る子どもたちの姿を遠くから見て、「透明な/光の子供らの一列」☆と言ったのです。

☆(注) 「一列」とは、横列か縦列か?‥農道は広くないので、縦列と考えられます。通学時には上級生が先頭に立って縦列で歩くように、教えられているのでしょう。

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