ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.21


そして、天沢氏によれば、宮沢賢治の詩的営為にとって、“雨に遭うこと”は、重要な意味をもっていました◆

「彷徨者にとっての雨のオブセッション
〔恐怖──ギトン注〕は詩人の存立原理の深みにかかわっている。〔…〕いちめん降りおちてくる雨は彼にとってじつに全体的なるものそのものの圧倒的な浸潤であり、その浸潤に対していかなる抵抗も無益なままに、やがて全身をそれら『全体』の無言の言葉のむれに侵しつくされざるをえないからであり、さらにその浸潤はまさしく死をひとすじにみちびくものだからである。」

「意識の問題としての『身体の弱さ』こそ、全体的なるものの浸潤に対処する詩人存在の力の本質的なあり方を象徴的なまでに感性化しているのだし、〔…〕死を導く絶対的な浸潤とのつながりに裏づけられながら、なおもそれをこちらから侵犯しかえして想像力を雨にずぶぬれにさせるとき一気に存在の彼方を引きよせるあの詩的言語の力を支えるものとなるのである。」
(『宮沢賢治の彼方へ』,pp.110-112)

◆(注) 天沢氏も指摘されるように、現実の生きた人間である宮澤賢治にとっても、雨は重大な意味をもっていました。ひとつには、肺に持病を持つ賢治にとっては、山歩きなどで降雨に曝されることは、比喩でも誇張でもなく、彼の寿命を縮める恐れがありました。もうひとつは、親しい同行者とともに雨に浸されることは、同性愛的な一体化──共に堕ち共に死すことを目指すようなそれ──の体験でありえました。盛岡高農1年次(保阪嘉内の入学する前)に寄宿舎で同室だった高橋秀松が、賢治との鉱物採集行の途中、岩手山麓で雷雨に遭い、「骨の髄まで」濡れた思い出を記しています(『宮沢賢治の彼方へ』,p.111)。童話『谷』にも、そうした“親友同士で共に濡れた”体験の反映が見られます:「丁度そのときさっきからどうしても降りさうに見えた空から雨つぶがポツリポツリとやって来ました。/『さあぬれるよ。』私は言ひました。 /『どうせずぶぬれだ。』慶次郎も云ひました。/雨つぶはだんだん数が増して来てまもなくザアッとやって来ました。楢の葉はパチパチ鳴り雫の音もポタッポタッと聞えて来たのです。私と慶次郎とはだまって立ってぬれました。それでもうれしかったのです。」 1.12.4




そして、『風の又三郎』では、

強風を巻き起こして激しく降り始めた驟雨の中で、

誰が叫んだのか判らない──あるいは、この世の誰でもない者の声が:

『雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。』

と響きます。

「三郎」以外の・土地の子どもたちは、その叫びに、むしろ一体化して、一斉に同じ文句を叫ぶのですが、

よそから来た──それゆえに、土地の子どもたちからは、“風の又三郎に違いない”と疑われている──「三郎」だけが、

「まるであわてて、何かに足をひっぱられるようにして淵からとびあがって」逃げて来ると、身体じゅうで「がくがくふるえ」ながら、叫んだものの所在を突きとめようとするのです。

「三郎」の恐怖の理由は、さまざまな解釈がありうると思いますが、

ギトンは、思春期に、この童話を最初に読んだ時から、

人間の姿になりきって、小学生と戯れていた“又三郎”が、自分の所属する異界から──“又三郎”より上級の魔神、あるいは、異界の支配者から、呼び戻されようとしているのだと思ってきました。

この理解は、今も変りません。

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