ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.20


まず、改作・編入後の『風の又三郎』テキストから引用してみます:『風の又三郎』

「二時になって五時間目が終わると、もうみんな一目散に飛びだしました。〔…〕すっかり夏のような立派な雲の峰が東でむくむく盛りあがり、さいかちの木は青く光って見えました

 みんな急いで着物をぬいで淵の岸に立つと、〔…〕

 佐太郎が大威張りで、上流の瀬に行って笊をじゃぶじゃぶ水で洗いました。


 みんなしいんとして、水をみつめて立っていました。

 三郎は水を見ないで向こうの雲の峰の上を通る黒い鳥を見ていました。〔…〕

 三郎はひとりさいかちの木の下に立ちました。

 ところが、そのときはもうそらがいっぱいの黒い雲で、楊やなぎも変に白っぽくなり、山の草はしんしんとくらくなり、そこらはなんとも言われない恐ろしい景色にかわっていました。

 そのうちに、いきなり上の野原のあたりで、ごろごろごろと雷が鳴り出しました。と思うと、まるで山つなみのような音がして、一ぺんに夕立がやって来ました。風までひゅうひゅう吹きだしました。
   〔…〕
 みんなは河原から着物をかかえて、ねむの木の下へ逃げこみました。すると三郎もなんだかはじめてこわくなったと見えて、さいかちの木の下からどぼんと水へはいってみんなのほうへ泳ぎだしました。

 すると、だれともなく、

『雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。』と叫んだものがありました。


 みんなもすぐ声をそろえて叫びました。

『雨はざっこざっこ雨三郎、
 風はどっこどっこ又三郎。』

 三郎はまるであわてて、何かに足をひっぱられるようにして淵からとびあがって、一目散にみんなのところに走って来て、がたがたふるえながら、

『いま叫んだのはおまえらだちかい。』とききました。

『そでない、そでない。』みんないっしょに叫びました。

 ぺ吉がまた一人出て来て、
『そでない。』と言いました。

 三郎は気味悪そうに川のほうを見ていましたが、色のあせたくちびるを、いつものようにきっとかんで、『なんだい。』と言いましたが、からだはやはりがくがくふるえていました。」

★(注) これは、“毒もみ”をしているのです。山椒の粉や硫酸銅などの毒物を川に流し、仮死状態で浮き上がった魚を捕る漁法で、もちろん当時から禁止されていました。

夕立ちがやって来る前に、三郎が見つめていた

「向こうの雲の峰の上を通る黒い鳥」

は、光る空を飛ぶ「白金海綿」の黒いちぎれ雲に似ていないでしょうか?‥

天沢退二郎氏は、この部分について:

「三郎ひとり『雲の峰の上を通る黒い鳥』を見ていたという何げない描写は、すでにまぢかに迫っていた夕立の潜在的な指標として、黒い鳥のひらめくイメージを作者の意識へおとしこんでいた。〔…〕ぬれねずみになってガタガタふるえながら、詩人は不意にそこが『果て』に近いことに気づく。」

(『宮沢賢治の彼方へ』,p.38)

と説明しています。

「黒い鳥」は、作者の詩的イメージの進行のなかでは、激しい雨に見舞われる体験の伏線となっているのです。

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