ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.17


ところで、「いま見はらかす耕地のはづれ」(71行目)から、「パート4」終結までの部分は、「さくらの幽霊」で始まり、「さくらの幽霊」で終っているのです:

. 春と修羅・初版本

_71いま見はらかす耕地のはづれ
_72向ふの青草の高みに四五本乱れて
_73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
_74みんなさくらの幽霊だ
  〔…〕
136むら氣な四本の櫻も
137記憶のやうにとほざかる
138たのしい地球の氣圏の春だ
139みんなうたつたりはしつたり
140はねあがつたりするがいい

つまり、言ってみれば……この場面は、終始、「さくらの幽霊」の影響下で行なわれていることになります。

そして、この「さくらの幽霊」のスケッチに挟まれた「パート4」後半部分は、次のような構成になっています:





歩いている作者がじっさいに見ている光景のスケッチ、
作者のなまの心情を述べた“独白”部分、
そして、幻視の光景や、記憶された過去の情景の‘スケッチ’

───これらが、交互に織り込まれています。

それでは、78行目以下の最初の独白部分から始めます。
この独白は、77行目の括弧書きのスケッチによって導入されます:

77 (空でひとむらの海綿白金(プラチナムスポンヂ)がちぎれる)
78それらかヾやく氷片の懸吊をふみ
79青らむ天のうつろのなかへ
80かたなのやうにつきすすみ
81すべて水いろの哀愁を焚き
82さびしい反照の偏光を截れ

「白金海綿(はっきんかいめん)」は、海綿(スポンジ)状の多孔質の白金で、色は灰色〜黒です:画像ファイル・白金海綿
天然の砂礫中から集めた白金を精製する過程で、王水に溶かした白金にアンモニウム・イオンを加えてクロロ白金酸アンモニウム (NH4)2PtCl6 を沈澱させ、700〜800℃で加熱すると、黒色の白金海綿を得ます。白金海綿が黒いのは、微細な凹凸が光を吸収するためですから、融解して固めれば、光沢のある白金塊になります。

「白金海綿」は英語で platinum sponge ──ルビの「プラチナム・スポンヂ」は、これですね。

そこで、77行目の「海綿白金」ですが、まばゆく輝く空に、黒っぽい縮れ雲が、ちぎれて飛んでいるのではないでしょうか。

「パート2」の最初で、「雨はけふはだいじやうぶふらない」と言っていましたが、
空に、こういう雲が現れると雨の前兆です。

作者も、やがて雨になる雲行きを感じて、78行目以下の独白になります。
しかし、それは、悲惨な世界を予想しつつ、そこへ突き進んで行くような凄絶な心境です。

「海綿白金がちぎれる」は、れいの「北ぞらのちぢれ羊」(雲とはんのき)、「向ふの縮れた亜鉛の雲」(屈折率)などが連想されますが、それらよりも暗く、陰惨なものの予感があります。

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