ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.13


ところで、さきほど、「パート3」にも、森の中でさえずる鳥の、長々とした冗長な描写がありました。

ここでもやはり、キジの描写は、けっきょく同じことを繰り返し述べているのですが、
それほど冗長に感じないのは、対象(キジ)が動いていることと、作者の認知も次第に対象に迫って行く動きがあるからだと思います。
つまり、現象学で言う“パースペクティヴの通覧”がある──発見がある──から、飽きさせないのです。

作者がこのような繰り返し描写を試みている意図は、
一種の音楽──楽曲を作曲するように詩を作ってみようとしているのだと思います。
短いモチーフの音形を少しずつ変えながら繰り返すことで、高揚してゆくメロディーの展開を構成しようしているのだと思います。

ここではやはり、「田園」シンフォニーの1〜2楽章を意識しているようで‥、鳥の声や動きをとらえた時に、オーケストラ風の旋律構成を試みているようです。ただ、そうした賢治の意図が、成功しているかどうかは、別かもしれません。

それでも、ここに繰り返し現れている「走るもの蛇に似たもの」──「流れてゐる」──「するするながれてゐる」というモチーフは、少し先で、中生代の‘恐竜の森’の幻想へとつながって行きます。

. 春と修羅・初版本

71いま見はらかす耕地のはづれ
72向ふの青草の高みに四五本乱れて
73なんといふ氣まぐれなさくらだらう
74みんなさくらの幽霊だ
75内面はしだれやなぎで
76鴇(とき)いろの花をつけてゐる

さて、このあたりからいよいよ作品「小岩井農場」の核心部分に入っていきます。

これまでも、1月の来場のさいの情景を想起したり、目に見えない背後の光景を、推論に基づいてイメージしている部分はありましたが、基本的に、歩行してゆく作者の眼前に生き生きと展開する世界のスケッチでした。

しかし、それが、この作品のすべてではありません。

“記録性”はいわば序奏であり、この作品のクライマックスは、“記録性”を突き抜けた‘彼方’にあるのです。

…そこで、最初に現れるのは、「さくらの幽霊」です。

青々と牧草の生え初めた広い耕地のかなたに、入り乱れて立っている4、5本の「さくらの幽霊」が見えます。

ただ、この「さくらの幽霊」自体は、幻影や想像上のものではなく、じっさいに作者の目の前(遠方)にあるのだと思います:

なぜ作者が「幽霊」と呼んだかですが‥、

これらは、自生のヤマザクラで、
いままでに見た植栽のソメイヨシノの並木とは違って、不揃いに「乱れて」生えているから、「幽霊」と呼んだのではないでしょうか。

「さくらの幽霊」は、作者の想像上のサクラだとしておられる岡澤敏男氏も、

自ら大正8年の「林相図」と賢治の詩句を照合した結果、「さくらの幽霊」が立っている地点を、地図上に厳密に確定しておられるのです。もし、作者の想像上の存在ならば、その位置は、どうしても曖昧になってしまうと思います(『賢治歩行詩考』,p.64.参照)

日本では、サクラの種類・品種は、じつに豊富で、ヤマザクラにも、たくさんの種・亜種・品種があります:画像ファイル・サクラ

↑写真を見てお分かりのように、ソメイヨシノ、シダレザクラ、エドヒガン…これら早咲きの桜と、ヤマザクラとの最大の違いは、

○ 早咲きの桜は、葉が出る前に花が咲く。

○ ヤマザクラは、花の開花と同時に、褐色の若葉が展開する。

 ──ということです。


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