ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.5.4


さて、次は1月の回想場面です:

. 春と修羅・初版本

11冬にはこヽの凍つた池で
12こどもらがひどくわらつた
13(から松はとびいろのすてきな脚です
14 向ふにひかるのは雲でせうか粉雪でせうか
15 それとも野はらの雪に日が照つてゐるのでせうか
16 氷滑りをやりながらなにがそんなにおかしいのです
17 おまへさんたちの頬つぺたはまつ赤ですよ)
18葱いろの春の水に
19楊の花芽(ベムペロ)ももうぼやける……

11〜12行の「冬には」から「わらった」までは、1月の場面を回想していますが、回想している作者の脚は、まだ5月の現在の上に立っています。つまり、これは通常の回想話法です。

ところが、13行目からの行下げ括弧書き:「から松は‥」から、17行目「‥まっ赤ですよ」までの部分は、作者がまるごと1月の世界に飛んで行ってしまっています。
“歴史的現在”というのとは違います。作者の周りの世界が、突然1月にスリップしたかのようです。1月の小岩井農場と子どもたちが現れて、5月の風景と同列に、あるいは重なって、《心象》世界の一部になっているのです。作者は、1月の・まだ葉の出ていないカラマツや、遠くの地吹雪、池でスケートをする子どもたちに向かって、5月の“現前世界”に対する以上に生き生きと話しかけているのです‥

18-19行目は、ふたたび5月の現在に戻って、初夏の光景を描写します:
「ベムベロ」(ベムペロは誤植)は、「楊の花芽」全体にかかっているルビです。方言で、ネコヤナギのこと:画像ファイル・ネコヤナギ

ネコヤナギの花は早春のものですから、もうすでに色を失って綿毛になり、ぼやけているのです。
「葱いろの春の水」は、池の水でしょう。水面に岸辺の若葉や水草の色が映えて緑色を帯びています。

さりげなく書かれていますが、氷結した池と、スケートをする子どもたちの映像は、突然消失して、初夏の池のけしきに変っているのです。

以上の・《本部》付近での場面のめまぐるしい交替は、映画だと思って画面の動きを想像すると、非常に分かりやすくなります。

「とびいろ(鳶色)」(13行目)は、茶褐色、暗紫色ないしアズキ色に近い色です:画像ファイル・とびいろ

「とびいろのすてきな脚」は、落葉したカラマツの幹が雪で湿った茶褐色を指しているのですが、
農村の子どもたちの・日に焼けた健康そうな素足を想わせます。

16-17行目で、頬っぺたを真っ赤にして笑い転げながらスケートをしている子どもたちのリアルな姿を描いています。

農場に保存されている当時の日誌には、《本部》の下にある池が冬季に厚く結氷するので、職員たちが終業後に除雪作業をして、スケート場にしていたことが、記されているそうです。この池は、長径十数メートルほどの池で、ふだんは蘆や水草に被われています☆

☆(注) 『賢治歩行詩考』p.44. つまり、農場職員の正規の仕事としてではなく、職員と家族のレクリエーションとして、池を除雪してスケートをしていたわけです。「屈折率」「くらかけの雪」の1922年1月6日の日誌には、天候は「半晴」、「スケート場の手入れ」と記されているそうです。なお、子供用の小さい足のスケート靴が、当時入手できたとは思えないので、「スケート」と言っても、子どもたちは、わらぐつなどで滑ったり転んだりして遊んだのたと思います。

なお、↑この11行目から19行目まで、【下書稿】には無かった部分で、推敲過程での加筆です。





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