ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.4.12


そこで、【下書稿】で、「天上の証拠」として挙がっているものを見ますと:

「天上の証拠は沢山あるのだ
 そら遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
 落葉松(ラリックス)の芽は緑の宝石で
 ネクタイピンにほしいほどだし
 たったいま影のやうに行ったのは
 立派な人馬の徽章だ
 騎手は若くて顔を熱らせ
 馬は汗をかいて黒びかりしてゐた。」

○ 鷹が遠くの空を切って飛んで行った

○ 落葉松(からまつ)のきらきら輝く芽 画像ファイル・カラマツの若葉

○「立派な人馬の徽章」が影のように走り過ぎて行った。

これだけですと、すがすがしい雲の上のイメージですが、

【下書稿】の最後の2行を読むと、
賢治の「天上」は、泥臭くも官能的な世界ではないでしょうか?:

「騎手は若くて顔を熱(ほて)らせ
 馬は汗をかいて黒びかりしてゐた。」

疾駆する馬と若い騎手の汗が混じり合った濃厚な匂いが、吹きつけて来そうです‥

ところで、この“疾駆する馬と騎手”ですが、実景をスケッチしたとすれば、単なる乗馬ではなく、競走馬を訓練している風景であるはずです。じっさい、当時、小岩井農場はサラブレッドなどの競走馬の育成に力を入れており、競走馬は、農場財政を支える最大の収入源でした。

当時、《農場本部》の東側には《育馬部》があり★、周辺に4ヶ所の馬場が設けられていました:写真 (p) 地図B

★(注) 育馬部は、戦後GHQの政策で廃止され、大清水の2つの馬場があった部分は、農地解放により農場外に払い下げられました(農場展示資料館の展示解説による)。そして、農場全体も、現在の乳製品生産を中心とする経営に推移していきます。

作者が、どの馬場の訓練風景を見たのかは分かりませんが、いずれにしろ、この「パート3」の末尾の場所にそのスケッチを挿入しているのは、“見たまま”の順序ではなく、スケッチの“編集”があると思わなければならないでしょう。

さらに、《初版本》では、次のように刈り込まれて、つづまった表現になってしまいます:

. 春と修羅・初版本

71遠くでは鷹がそらを截つてゐるし
72からまつの芽はネクタイピンにほしいくらゐだし
73いま向ふの並樹をくらつと青く走つて行つたのは
74(騎手はわらひ)赤銅(しやくどう)の人馬の徽章だ

「人馬の徽章」は、馬と騎手、あるいは人馬ケンタウロスをデザインした徽章か商品マークが、当時あったのかもしれませんが、いまのところ見つけられません。ネット検索では、現・陸上自衛隊第1師団第1戦車大隊(静岡県御殿場市)が、ケンタウロスをあしらったシンボルマークを持っていることしか分かりませんでした◇

◇(注) 当時、盛岡には第三旅団騎兵連隊があって、岩手山麓でしばしば騎兵演習をしていましたが、小岩井農場に来て騎兵訓練をすることは考えられないので、「人馬の徽章」はともかく、その実景は、騎兵ではなく、競走馬の訓練と考えられます。

《初版本》には、「くらっと青く走って行った」としか書かれていませんが、その含みこんだ中身は、本来は、官能あふれるふくよかなものだったのです。これは、賢治詩を読む場合に注意すべきことかもしれません。とくに、賢治の多用する「青」という色彩語が出てきたときは、その背景にどれだけ豊かな官能が隠されているか、いちど考えてみたほうがよいのだと思います。





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