ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.4.9


. 春と修羅・初版本

45けれどもこれは樹や枝のかげでなくて
46しめつた黒い腐植質と
47石竹(せきちく)いろの花のかけら
48さくらの並樹になつたのだ
49こんなしづかなめまぐるしさ。

「さくらの並樹になつた」ということは、作者はもう《農場本部》の近くまで進んで来たわけです。

小岩井農場のソメイヨシノ(現在約140本)は、農場が植栽したものです。
創業当時、最初の場主・井上勝が2224本のソメイヨシノを植栽したことが、記録にあります☆
しかし、大部分の株は、現在では老齢化していて、花蕾の少ない年もあるようです。
本州で最も遅く開花する桜の名所として知られています。開花時期は5月初〜中旬です★

画像ファイル・小岩井農場の桜
↑こちらは5月9日の農場ですが、ソメイヨシノが満開です

☆(注) 『賢治歩行詩考』,p.46.

★(注) “じゃらん”などの観光用桜情報の開花時期は不正確です。2013年は5月16日時点で七部咲き程度(?)、すでに葉も成長して、花は盛りを過ぎていました。ウソ(鳥)の食害(花芽を食べてしまう)で花が少なかったそうです。

しかし、賢治の時代には、樹木も若くて満開したでしょうし、開花時期は、今より遅かったかもしれません。

50この荷馬車にはひとがついてゐない
51馬は拂ひ下げの立派なハツクニー
52脚のゆれるのは年老つたため
53 (おい ヘングスト しつかりしろよ
54  三日月みたいな眼つきをして
55 おまけになみだがいつぱいで
56  陰氣にあたまを下げてゐられると
57  おれはまつたくたまらないのだ
58  威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)
59ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
60けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……

「静かな目まぐるしさ」のあとは、荷馬車が1台勝手に動きだしたという・さきほどからの情景に、再び注意を向けます。

見れば、荷馬車を挽いているのは、「払い下げの立派なハックニー」種の馬ですが、年とっているために、脚が揺れておぼつかない足取りです。

荷馬車に付いていなければならないはずの人は、どこにいるのかと見渡せば:

61……馬車挽きはみんなといつしよに
62向ふのどてのかれ草に
63腰をおろしてやすんでゐる
64三人赤くわらつてこつちをみ
65また一人は大股にどてのなかをあるき
66なにか忘れものでももつてくるといふ風…(蜂凾の白ペンキ)





つまり、松の生木を積んだ4台の荷馬車──3台は止まっていて、1台はひとりでに動きだした──に付いていた4人の「馬車挽き」は、土手の上に腰を下ろして休んでいるのです。
そのうち3人は、荷馬車が勝手に動くのを見て、笑っている。1人は、「大股に土手の中を歩き/何か忘れ物でも持ってくるというふう」。──おそらく、この歩いている人が、歩き出した荷馬車の担当者なのでしょう。
彼は、自分の車を止めようとして、あわてて大股に歩いて来るのですが、他の3人に笑われて決まりが悪いので(走ったりすれば、爆笑されてしまいます…)まるで何事もないかのように、‘ちょっと車に忘れ物をしたから取りに行ってくる’という様子で、やって来るのです。

しかし、それにしても、ハクニー馬は、なぜ勝手に歩き出してしまったのでしょう…
【下書稿】を見ると、

「この馬は黒くて払ひ下げだ。
 年老ってゐるがたくましい。」

とあります。「払い下げの立派なハックニー」は、あとからの書き替えです。

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