ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
36ページ/184ページ



3.4.7


. 春と修羅・初版本

40荷馬車がたしか三臺とまつてゐる
41生[なま]な松の丸太がいつぱいにつまれ
42陽がいつかこつそりおりてきて
43あたらしいテレピン油の蒸氣壓
44一臺だけがあるいてゐる。
   〔…〕
50この荷馬車にはひとがついてゐない

人のついていない荷馬車がひとりでに動いているのは奇妙ですが、そうなった原因は後で分かります。

しかし、原因はともかく、この情景は、なんだか戯けていないでしょうか?

42陽がいつかこつそりおりてきて

は、積まれた松の丸太に陽が当たっているようすですが、
“こっそりおりてきて”──いつのまにか陽が当たって、テレビン油の匂いが発散していた、と言うのです。

そして、気がついてみると、荷馬車の1台は、のこのこ歩き出している──というわけです。

賢治は、このテレビン油の芳香がとくべつに好きでした。
テレビン油の匂いがする松林の中や松の枝について、第6章の「松の針」をはじめ、多くの詩に詠まれています。

1922-23年ころに書かれた☆童話『車』は、テレビン油が主題になっていると言ってよいほどテレビン油と松林の芳香を中心とした短い作品です。

☆(注) 『春と修羅』《初版本》の【印刷用原稿】と同じ用紙に清書されています。同じ用紙を使用している作品には、『イーハトーボ農学校の春』『イギリス海岸』『銀河鉄道の夜・初期形』があります。

貧しい少年ハーシュは、
毎日朝から街頭に立って、町の人から小間使い仕事や施しをもらって暮らしています。ある日、ハーシュは、建築の親方に頼まれて、荷車を挽いて、松林の裏側にある工場へテレビン油をもらいに行きます:童話『車』





ハーシュという名前はともかくとしても、物語の設定と雰囲気が、中東かアジアの町を思わせます。
しかし、松林の多い土地景観は、日本か、その周辺です。

『車』は、全集で5ページ分の短い童話ですが、ギトンは、最初に読んだときの印象がとても強かったのを覚えています。テレビン油(ないし主成分ピネン)の芳香や、その物質に対する作者の好みが伝わってくるような気がしたのです:

「ハーシュは車をひいて青い松林のすぐそばまで来ました。すがすがしい松脂のにほひがして鳥もツンツン啼きました。」

「そして松林のはづれに小さなテレピン油の工場が見えて来ました。松やにの匂がしぃんとして青い煙はあがり日光はさんさんと降ってゐました。」

しかし、いま読み返してみると、主人公のハーシュは、街頭でその日暮らしをしているストリート・チュルドレンなのです。弁当を持っているところをみると、帰る家はあるようですが、学校にも行っていませんし、「水色の水兵服を着て空気銃を持った」縮れ毛の子供──ちゃんとした家のある中流以上の子のようです──に、「よござんすか。坊ちゃん」と敬語で呼びかけています。

単発のアルバイトで生活しているフリーターを、もっとワイルドにした感じではないでしょうか…
賢治は、そういう少年の不安定で自由な生活に、憧れを抱いて書いているように思われるのです。

この小品に限らず、宮沢賢治の生活感情や創作動機のなかには、自由な生──不安定さ、貧しさ、社会的地位の無さを含む“自由”──へと憧れる面があったのではないでしょうか。

…と考えてみると、
ジョバンニにしろ、ブドリの少年時代にしろ、『風の又三郎』の三郎少年にしろ、また、『オツベルと象』の象にしろ、
有名な賢治童話の主人公は、みな、親がいないか、いても片親とか。。。 半放浪的な少年たちではありませんか!!

ここには、賢治童話を、これまでとは違う面から読み解く鍵がないでしょうか…

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ