ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.10.16


   ◇◆◇「小岩井農場」終結部の“恋愛論”について◆◇◆

作者は、「パート9」で──雨の中なので、もはや現実の風景そのもののスケッチは、ほとんどなく──さまざまに展開されてきた幻想の叙述を、次のように言って打ち消した後:

47 《そんなことでだまされてはいけない
   〔…〕
55 もう決定した そつちへ行くな
56 これらはみんなただしくない

59行目以下の有名な“恋愛論”──‘反恋愛論’と言ってもよい内容の演説を繰り広げます。

これは、すべて【下書稿】より後の加筆なのです☆

☆(注) ギトンは、この“演説”が加筆されたのは、1924年2-3月頃、おそらく2月7日の斎藤宗次郎との会見(9.3.13)の後ではないかと考えています。この部分の差し替えは、入沢康夫氏の言う《第3段階》に属すること(8.1.7)から、他の差し替えの時期推定も併せ考えると、そう思われるのです。

この“恋愛論”ないし“反恋愛論”については、賢治研究者‥いや賢治読者の間でも、はっきりと評価が両極端に分かれているのではないかと思います。

ともかく、引用してみることにします:

. 春と修羅・初版本

59  ちいさな自分を劃ることのできない
60 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
61もしも正しいねがひに燃えて
62じぶんとひとと萬象といつしよに
63至上福しにいたらうとする
64それをある宗教情操とするならば
65そのねがひから砕けまたは疲れ
66じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
67完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
68この變態を戀愛といふ
69そしてどこまでもその方向では
70決して求め得られないその戀愛の本質的な部分を
71むりにもごまかし求め得やうとする
72この傾向を性慾といふ
73すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に従つて
74さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある
75この命題は可逆的にもまた正しく
76わたくしにはあんまり恐ろしいことだ
77けれどもいくら恐ろしいといつても
78それがほんたうならしかたない
79さあはつきり眼をあいてたれにも見え
80明確に物理學の法則にしたがふ
81これら實在の現象のなかから
82あたらしくまつすぐに起て

天沢退二郎氏の次の言及は、低い評価の例になると思います:

「宗教的情操→恋愛→性欲と下降する可逆的ヒェラルキーを恐ろしいといい、恐ろしくても真実ならしかたないといいながら『書くこと』のもつエロスとしての正体(それが逆に全的に解放されるところに賢治童話の魅惑の源があるのだが)を閉めだしてしまうとき、『小岩井農場』が賢治詩へもたらす決算表はあと数行の差引計算を残すばかりだ。〔…〕
 〔…〕雨が自らかちとった死へそそぐようにはげしく降るなかで、長詩『小岩井農場』という投企はこうして分裂の終結までを詩人に経験させてしまう。この決定的喪失が詩人の未来を律するものにほかならない〔…〕このまがり角のむこうにあるものは再び橋場線小岩井駅のはずである。だがそれはもう詩人が《すばやく汽車からおりた》ときのあの駅とは同じものではない。〔…〕行くてにあるのは〔…〕折返し点のさらに彼方の、現実には到達しえない(しえなかった)不可能の駅の代りに、仮に置かれたもの、貧しい現実存在でしかない。」

☆(注) 天沢退二郎『宮沢賢治の彼方へ』,増補改訂版,1977,思潮社,pp.139-141. 下線部は原文の傍点文字。

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