ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.10.13


そこで、『インドラの網』を、ここで、もう少し詳しく見ておきたいと思います:『インドラの網』
主人公「私」は、3つの世界を順に移動します:

まず、@「私」が「風と草穂との底に倒れて」いる世界。作者の住んでいる岩手県の山野だと考えてよいでしょう。「私」が自分の影法師に「別れの挨拶」をするというのは、身体から魂が離脱して漂って行くことを意味するのだと思います。影の無い人と云えば、魂だけになった幽霊のことであり、死期の近づいた人を“影が薄い”と云ったりしますから。

次に、Aチベットの高原。「ツェラ高原」という地名は見当たらないので、賢治の創作地名だと思いますが、探険家ヘディンの旅行記に書かれたチベット高原の様子によく似ていること☆や、異稿である「阿耨達池幻想曲」でははっきりとチベットにある阿耨達池(マナサロワール湖:画像ファイル:マナサロワール湖)が名指されていることから、チベットに間違えないようです。
@の草原に倒れていた身体から幽体離脱した「私」は、このチベットの“ツェラ高原”を歩いています。

☆(注) 金子民雄『宮沢賢治と西域幻想』,1988,白水社,pp.113-122: ヘディン『トランス・ヒマラヤ』と宮沢賢治『インドラの網』を詳しく比較しています。

「私」は“ツェラ高原”を歩いているうちに、B「天の空間」に紛れ込んでしまい、天人が飛翔しているのを見ます。(これは、〔……〕で省略されている部分です。)

そのあと、「私」は再び人界に戻って、A“ツェラ高原”を歩いています。そして、夜明け近くに、「三人の天の子供ら」に出会うのです。
つまり、3人の「子供ら」は、天から落ちて、今は人界である“ツェラ高原”にいることになります。

「またそのたしかに于闐(コウタン)大寺の廃趾から発掘された壁画の中の三人なことを知りました。」

于闐(ホータン)は、西域南道沿いにあるオアシス都市です。"Khotan"──「コータン」「ホータン」の中間の発音です:西域地図 西域、ミーランの有翼天使像

ホータンとミーランは、かなり離れていますが、賢治が、オーレル・スタインによって発見された‘ミーランの有翼天使像’をモデルにしていることは、明らかです。

3人の「子供ら」は、「みな霜を織ったやうな羅[うすもの]をつけすきとほる沓[くつ]をは」いています。これは、「〔みあげた〕断片」に、

「おれは今日は霜の羅を織る。鋼玉の瓔珞をつらねる。〔…〕ガラスの沓をやるぞ。」

と書かれていたのに対応しています。

「三人一緒にこっちを向きました。その瓔珞のかゞやきと黒い厳[いか]めしい瞳。」

「右はじの子供がまっすぐに瞬[またたき]もなく私を見て訊ねました。」

「『何しに来たんだい。』少しの顔色もうごかさずじっと私の瞳を見ながらその子はまたかう云ひました。」

3人の「天の子供ら」の印象として顕著なのは、じっと「私」を見返してくる厳めしい瞳です。
これは、‘ミーランの有翼天使像’、とくに大谷隊の持ち帰った3体目の天使像の表情が持つ印象に、非常に近いものだと思います↑。




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