ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.10.12


以上で、「パート9」の【初版本】テキストを最後まで検討したのですが、

途中で立ち止まって見ている余裕のなかったいくつかの問題について、以下で、やや詳しく解析したいと思います。

   ◇◆◇ユリア、ペムペルとミーラン《有翼天使》◆◇◆

. 「小岩井農場・パート9」【下書稿】

「さっきの[慓]悍なさくらどもだ。
 向ふにすきとほって見えてゐる。
 雨はふるけれども私は雨を感じない。
   たしかに
 私の感覚の外でそのつめたい雨が降ってゐるのだ。
 ユリアが私の右に居る。
 ペムペルが私の左を行く。
 ツィーゲルは横へ外れてしまった。
 みんな透明なたましひだ。
 大きく眼をみひらいて歩いてゐる。
 あなたがたははだしだ。
 そして青黒いなめらかな鉱物の板の上を歩く。
 あなたがたの足はまっ白で光る。」

↑【下書稿】の「パート9」冒頭ですが、“手入れ”を除いて、【下書稿】の最初の状態を復元してみました。

「慓悍」は「剽悍」と同じで、すばしこくて荒々しいこと。盗賊、刺客、猛獣…のイメージです。悪戯好きで気のおけない《アザリア》の悪友仲間──にしては、少々恐いイメージがあります。

しかし、それは作者が“思い出すこと”自体の恐さなのではないでしょうか?

《アザリア》は、懐かしい思い出であると同時に、とくに保阪嘉内との一部始終は、甘美さに彩られつつも、思い出したくない苦しみ、悲しみの部分を蔵しています。

それを、“仲間との懐かしい思い出”の中に昇華させ解消して行くことが、「小岩井農場」推敲過程で作者が目指した方向であったはずです。

ところで、ここではまず、《アザリア》はひとまず措いて、書かれなかった「パート8」からの繋がりを考えてみたいと思います。

「パート8」の構想から独立して作品化されたと思われる2断片「〔みあげた〕」と「〔堅い瓔珞は‥〕」を見ますと、天から地上へ、たくさんの魂が下降して行く‥堕ちて来るモチーフが、共通の核になっているようです。

おそらく、作者の当初の構想では、
「パート8」で天から落下して来た3人の「天の子供ら」──《ミーランの有翼天使》が、
「パート9」では、歩いている作者の左右にちらちら見え隠れしながら、いっしょに歩く──そのようにして、「パート8」から「パート9」の最初へと、モチーフの展開が繋がっていたのではないかと思われます。

ですから、「ツィーゲル」が「横へ外れ」ても、それは「子供ら」の気まぐれな動きのひとつにすぎなかったと思うのです。
↓下で検討するように、『インドラの網』には、朝日の光を受けて踊りだした「天の子供ら」の身体が、何度も「私」にぶつかるという描写があります。

また、作者の描く《ミーランの有翼天使》には、『インドラの網』で

「その瓔珞のかゞやきと黒い厳[いか]めしい瞳。」

「少しの顔色もうごかさずじっと私の瞳を見ながら」

と言い、
この「パート9」【下書稿】で

「おゝ何といふあなた方はきつい顔をしてゐるのです
 光って凛として怖いくらゐです。」

と言うように、
やはり、天から下りて来た魂だけあって、人間の心を見透かし、わずかの《諂曲》すら許さない毅然とした威厳が備わっています。

「パート4」での「気まぐれ」「むら気」な“幽霊桜”のイメージが、「パート9」冒頭では「慓悍」なイメージに変ったのも、《ミーランの有翼天使》のモチーフが加わったためではないかと思います。

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