ゆらぐ蜉蝣文字


第3章 小岩井農場
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3.10.9


. 「小岩井農場・パート9」【下書稿】

「ひばりがゐるやうな居ないやうな。」

は、後からの加筆ですが、あとのほうで、

「何といふ立派なすあしです。
 [あれは]雨の中のひばりです。
 あなたがたは赤い【火の】[とげで一杯な]野原をも
 そのまっ白なすあしにふみ」

とある「雨の中のひばり」の伏線として加筆したのだと思います。

じっさいに降雨の中で、ヒバリが空へ昇って行って囀るとは思えませんから、これは、作者の幻聴か、創作です。
そして、「ユリア」「ペムペル」の「まっ白な素足」の歩行と関連しています。

真っ赤な業火の燃え熾る世界を、やすやすと素足で渡ってゆく“白い素足”の若者たちの傍らで、
雨の降りしきる中を、まっすぐに天に駆け上がって行くヒバリを、想像したのだと思います。

「ペムペルペムペル これは
 何といふ透明な明るいことでせう。
 腐植質から燕麦が生え
 雨はしきりにふってゐる。」

「腐植質」は、畑の表土、くろつちのことです。

. 3.7.17 農場『本部日誌』を、もう一度見ますと、燕麦の播種は、2週間前の5月7日に行なわれています。播種の時期は季節・天候・気温の動きによって、農場全体で決めて実施しますから、ほかの耕地でもほぼ同じ時期です。

5月21日に賢治が下丸耕地で見たのは、2週間前に播かれた燕麦が、一面に青い芽を出して絨緞のように、黒い畑土の斜面を被っている光景でした。

往路では乾いていたので、畑の表土は、「ヴァンダイク・ブラウン」でしたが(パート4)、今は、耕地面も雨に濡れて真っ黒です。

真っ黒な土から、青々とした細い穀物の芽が噴き出し、広大なスロープを一面に被う光景は、やはり感動的です。
小さな生命のみずみずしさ、何が起ろうと毎年まちがえなくやってくる芽生えの季節を、感じとらない者はいないでしょう。

同じ雨にしっとりと浸されたヒトの身体と心からは、どんな息吹きが芽生えるのか──黒く暗い‘苗床’であればあるだけ──‥、そこはかとない期待感が膨れ上がってくるようです。

   

. 春と修羅・初版本
35さうです、農塲のこのへんは
36まつたく不思議におもはれます
37どうしてかわたくしはここらを
38der heilige Punkt と
39呼びたいやうな氣がします
40この冬だつて耕耘部まで用事で來て
41こヽいらの匂のいヽふぶきのなかで
42なにとはなしに聖いこころもちがして
43凍えさうになりながらいつまでもいつまでも
44いつたり來たりしてゐました

「der heilige Punkt」(デァ・ハイリゲ・プンクト)は、ドイツ語で“聖なる地”。英語にすると:the holy point.
作者は、いま、《下丸7号》耕地の下を歩いています。

「この冬」は、「屈折率」「くらかけの雪」を着想した1922年1月6日頃の農場訪問。地吹雪の中で、さまようように歩き回った状況は、すでに何度か検討しました(⇒:《パート4》3.5.7 ⇒:《パート4》3.5.16“der heilige Punkt” ⇒:【2】くらかけの雪 1.2.1 ⇒:【2】くらかけの雪 1.2.4 ⇒:【2】くらかけの雪 1.2.5

「ほんたうにそんな酵母のふうの
 朧な吹雪ですけれども」
(くらかけの雪)

と言っていましたが、
ギトンは、この「おぼろな吹雪」には、動物の乳、あるいは母乳を懐かしむ作者の憧憬が現れているように思います。マザー・コンプレックス──“母の子宮への無限後退”かもしれませんがw‥これも宮沢賢治のひとつの要素です。
宮沢賢治の「聖」性には、そういう要素があります。

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